成人女性
 しかし投票機能にも限界があり、選択肢が多すぎるときは人に()くのとは別の決め方をしなくてはならない。
 私は映画を見るのが好きなのだが、ある日好きな俳優や女優の出演する映画をできる限り挙げてみたところ、ゆうに百本を超えていたことがあり自分で作品名を縦に並べて書いたのを見て舌を巻いた。
 好きな役者が五人も六人もいるのが根本原因だが、見られるものはできるだけ全て見たいというお得意の好奇心が働いたのだろう。
 選択肢が百もあっては投票などでは決められないので、そういうときはルーレットやくじ引きを使うようにしている。
 今では大変便利なことにルーレットアプリや無作為抽出をしてくれるウェブサイトがあるので、そういったところに作品名がわかる単語だけ打ち込んで、あとはコンピューターのプログラムにお任せである。
 いずれ全ての作品を見る予定なので、順番は気にしないという時に役に立つ。
 そうして決まった本日の一本を温かいお茶を飲みながら鑑賞するのだ。

 映画の脚本のように優柔不断であっても気を揉む時間が決まっていたり、「どうしようかなあ」とウンウン(うな)っているだけでパッと(ひらめ)いたりするのであれば全く困らないのだが、生活は映画のように容易(たやす)いものではないそうで、考えれば考えるほど迷路に入り込んでしまうのが現実である。
 ここまで優柔不断について散々なことをお話したが、私は優柔不断を案外愛すべき性格だとも捉えている。
 優柔不断とは一つの決定に関係する要素や決定後の結果を注意深く思案できるからこそ生じるものなのではないだろうか。
 つまるところ彼ら彼女らには思いやりがあるのである。
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