成人女性
 皆が同じような服装で、同じような時間に同じような所へゆく。
 同じようなことを考えて、同じような時間に同じような所へ帰る。
 これを良いように考えれば、安定という言葉が当てはまるかもしれない。
 ある程度の人が、ある程度のところで一定の生活を送っている。
 並大抵のことでは良くも悪くも生活が左右することはない。
 しかし、それでは味気ないと思ってしまうのが私である。

 モノは豊かになった。
 多くのものは簡単に手に入るし、手に入りづらいものでも写真や動画であればすぐにでも見ることができる。
 類似のものであれば自分で作ることだってできるかもしれない。
 今や家から一歩も出ずとも食事ができ、売られているものを受け取ることができるし、遠く離れた誰かと時間を共有することもできる。
 ここで疑問に思うのは、果たしてココロは豊かになったのかということである。
 モノや情報が氾濫するほど(あふ)れるこの世の中で、ココロが疲れてはいないだろうか。
 今どき都会に出てみれば、隣人が誰かも知らず気付かぬうちに住人が変わっていたなどということが日常茶飯事、田舎にいたらそれはそれでムラ意識かシマ精神なのか、どこか自分の領域を守ろうと必死な人も少なくない。
 その昔、井戸端会議という言葉があったが、一戸に水道がある現代においては井戸端会議どころか井戸端というものすら存在しない。
 ご婦人方が家事の合間に集まる井戸端はどこにあるのだろうか。
 仮に現代版井戸端会議に相当する言葉を作るならば、ソーシャルメディア端会議と言うのが正確だろう。
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