年下カレが眼鏡を外す時
「なんですか、その言い方は。私にだって恋人の一人や二人……」
「だって、いっつも休憩室でフラれたって愚痴ってるから、てっきり今はフリーだと」

 先輩は壮真君をちらりと見た。壮真君は小さく会釈をしてから、腰のあたりに腕を回し、抱き寄せる。人前、しかも会社の先輩の前でこんなことをするなんて、恥ずかしい……。居たたまれなくなった私がとっさに先輩から目を逸らすと、先輩も何だか気まずそうに口を開いた。

「じゃ、じゃあ、俺行くわ。また会社で」
「え、あ、はい」

 ぎこちなく去って行く先輩の背中を見届けて、私はようやっと胸を撫でおろした。そして、壮真君を見上げ「もうっ!」と声をあげる

「会社の人の前なんだから、こういう事しないでよ。もう!」

 私はカレから離れようとしたけれど、壮真君のホールドは力強く、離れられそうにない。え? もしかして、怒っているのかな? そう思って首を傾げると、壮真君はいつも通りの優しい笑顔を見せた。

「……いい時間だし、食事でもしましょう」
「う、うん」

 私たちはそのまま離れることなく、繁華街に向かった。今日の夕食は、この前雑誌の特集で見つけたイタリアン。イタリアのピザコンテストで優勝したことがあるシェフが作るピザが絶品だと聞いて、私は今日のために予約しておいた場所。壮真君の口にも合ったようで、何度も美味しいと口にしながらピザを食べていく。

「亜美さん、飲み過ぎじゃないですか?」
「そう?」

 料理だけでもなく、ワインも品ぞろえ豊富だった。いろいろ試したくて、次々と飲んでは注文してしまう。私の近くにあったグラスは壮真君が奪って、代わりに水をくれた。あまり酔っているつもりはなかったけれど、水の冷たさが顔の熱を冷ましてくような気がした。

「そろそろ出ます?」

 ドルチェも食べてコーヒーで一服をしてから、壮真君が腕時計を見た。楽しかったデートももうおしまいなのか。私は少し肩を落として「うん」と返事をした。もっと一緒にいたいけれど、壮真君の時間を奪う訳にはいかない。私たちは会計を済ませて外に出た。夜の柔らかな風が頬をくすぐる。空を見上げると、まるくなった月が大分高くまで昇っていた。

「じゃあ、行こっか」

 私は駅に向かって歩き出す。そんな私の手首を、壮真君がぎゅっと強く掴んだ。

「……帰るんですか?」
「え?」

 その声音は少し寂しそうにも聞こえる。私が返事も出来ずにいると、壮真君は大通りに向かって大きく腕をあげた。ちょうどよく通りかかったタクシーが止まり、私はその後部座席に押し込まれていく。隣に座った壮真君が運転手に告げる住所はカレの自宅のもので、カレの手はまるで離すまいと言わんばかりに私の指を絡めとっていた。私は「もっと一緒にいたかった」という本音を込めるように、その手をきゅっと握る。そっと壮真君を見ると、眼鏡の奥の彼の瞳は優しく、私を見つめている。恥ずかしくなってとっさに顔を伏せると、カレは手を持ち上げて、繋いだまま私の太ももの上に置いた。長い小指がスカートを少しめくり、ストッキングの上から私の脚に触れる。そんな触り方、こんな所でやめて欲しい。幸いなことに運転手は気づいていないけれど、くすぐったくて、気持ちが良くて……私の息は少しずつ荒くなっていく。

 壮真君の指はそれ以上何もすることなく、カレが暮らしているマンションの前でタクシーは停まった。私たちは手を繋いだままエレベーターに乗り、引っ張られるようにカレの部屋の前までたどり着く。壮真君が鍵を開けて、ドアを開く。

「どうぞ」

 そう言って、ここに来るときは私を先に入れてくれる。私は「ありがとう」と小さく頭をあげて、一歩、玄関に足を踏み入れる。

「……っ!」

 その瞬間、再び手首を掴まれた。私の体は壁に押し付けられる。
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