敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
ロッカールームの噂話
 セキュリティーを解除して、"スタッフオンリー"の表示があるシルバーのドアを開けると、その先は少しひんやりとしていた。中へ入りドアを閉めると、空港内のざわざわが遠ざかり少し静かになる。

一直線に伸びる廊下を可奈子は歩きだした。

福岡便は滞りなく離陸した。

可奈子は次に担当する便に備えるため、今度はチェックインカウンターへ向かっている。時間に余裕はあるものの、なるべく早く準備を始めたくて、くつ音を鳴らし足早に進む。

そしてあるドアの前を通りかかった時、"如月さん"という言葉が耳に飛び込んできたような気がして足を止めた。

少し開いた扉の向こうは株式会社NANA・SKYのロッカールームだ。

何人かのスタッフが、準備をしつつ雑談に興じている。

ピンク色のスカーフを着けているということは、CAだ。

「あーあ、千歳便じゃ、やる気がでない。如月さんの搭乗する福岡便がよかったな」

「本当それ。でも福岡じゃちょっと短いよね。どうせならパリ便でご一緒したいわ」

どうやら総司と一緒の便に搭乗したかったという愚痴のようだ。

可奈子はなんとなくそのまま動けずに壁に貼り付いて、彼女たちの話に耳を澄ませた。

「それにしても今日も美鈴、張り切ってたね。メイクノリノリでさ。如月さん、もう結婚したんだから無意味なのに」

「ねー」

そう言って彼女たちは、くすくすと笑い出した。

CAとグランドスタッフの間には、どことなく壁があるというのがNANA・SKYの社員共通の認識だが、だからといってそれぞれが一枚岩というわけではないようだ。

「ふふふ、いい気味。あの子完全に私たちのこと馬鹿にしてるじゃない? コックピットへの食事提供だって、絶対譲ってくれないし」

ひとりのCAの不満そうな言葉に、皆うんうんと頷いている。可奈子の頭についさっきあったばかりの美鈴とのやり取りが浮かんだ。

ずば抜けた美貌を持つ美鈴が、同僚のCAでさえ馬鹿にしているというなら、可奈子など眼中にないといったところか。

彼女が総司を気に入っていたのは周知の事実で、結婚したのをよく思っていないのも間違いない。だとしたらさっきの態度は納得だった。

 ひとりのCAが残念そうに口を開いた。

「まぁそこはスッキリしたけどさ、でもやっぱりがっかりだった。如月さん、どうして結婚しちゃったのかな。……よりによって、あんな地味な子と」

「接点もなさそうなのにね」

ある程度予想はしていたものの、話の矛先が自分に向いて、可奈子の胸がどきりと鳴る。

今ここで話を聞いているのを絶対に気付かれてはならないと息をひそめた。

「なんかおかしいよね。納得いかない。如月さんって他社のCAにも人気じゃない? しょっちゅう声をかけられているし。どんな女性もよりどりみどりなのに……なんで?」

彼女たちは口々文句を言う。

するとあるCAが突然閃いたように声をあげた。

「わかった! きっとあれだよ、えーとなんだっけ、……偽装結婚? いや違うな、契約結婚!」

「……はぁ?」

皆が一斉に声をあげた。

「ほら、ドラマとか漫画でよくあるじゃない。愛はないけど都合がいいから結婚しましょうってやつ。あれだよ!」

「……如月さんが、なんでそんなことしなきゃならないのよ」

「パイロットって自分の身体のコンディションにストイックな方が多いじゃない? 実際自己管理ができなきゃ話にならないし。女と遊んでる暇なんてないって言う人もいるよ。なのにひっきりなしに声がかかったら嫌になるでしょ? うんざりなんだよ。つまり女避けってわけ!」

突拍子もないアイデアを得意そうに披露する彼女に、もちろん真剣に同意する者はいなかった。

「あんた、ドラマ好きだもんねー」

などと茶化すように言っている。
でもそのうちのひとりがため息混じりに口にした言葉には、皆同意のようだった。

「……まぁでも、そうでも考えないと、気持ちが治まらないのも確かだけど。女除けに、都合がいいから結婚したっていうなら、相手が地味目のグランドスタッフっていうのも納得だし」

「家政婦みたいなもんなんだと思うことにして、如月さんには今まで通り私たちの王子様でいてもらおう」

うんうんと頷き合い、またため息をついている。

 可奈子はそっとその場を後にした。

 なるべくくつ音が鳴らないように足速に廊下を進み、突き当たりを曲がる。そこで立ち止まり、視線を落として考え込んだ。

 彼女たちの話は、たわいもないただ冗談だ。総司との結婚を決めた時にこれくらいは言われるだろうと予想をした範疇を超えていない。

それでも直接耳にしてしまうと、あまり気持ちのいいものではなかった。

契約結婚なんてフィクションの中だけの話だ。現実にはありえない。

でもそんな風に言われるくらい自分たちの結婚は、皆の目に不自然に映るのだ。

可奈子は小さくため息を吐いて、また廊下を歩き出した。
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