一夜限りと思ったワンコ系男子との正しい恋愛の始め方

その9. 今日はツイてない

 十八時四十分。本日の集計が終わると、美晴はパソコンの電源を落とした。

 コールセンターの業務は十八時で終了。それ以降の残務処理があるのは美晴と理恵くらいだが、理恵は一足先にあがっている。最後の一人となったので、ただっ広いフロアーの自分たちのエリアだけ照明を落とし、鞄を持って退出した。

 化粧室に寄って、鏡を見る。化粧の剥げかかった、疲れた顔をした二十代後半の女がそこにいた。

 コールセンターのスタッフは三十代、四十代の女性が多い。彼女らには、二十代の肌の張りはやっぱり違うのよ、とよく言われるが、当事者である美晴にはそれが分からない。鏡に映る自分の姿はどう見てもぱっとしない、冴えない女だ。

「だめだ。考えることが全て後ろ向きになっている」

 あえて口に出して反省すると、鏡に向かって微笑んでみせた。垂れ目のせいか、口角を上げるだけで微笑んでいるように他人には見える。これから会う相手は、こんな簡単なテクニックだけで嬉しそうにしてくれた。その素直な反応にもはや罪悪感を覚えているが、取り敢えずこの口角の角度だけはキープしておきたい。

 化粧を直すとビルを出て、コンビニへと向かう。約束の時間より多少早くつくので、コーヒーを買って飲んで待ってようかと思いながら歩いていると、店の前で立っている男の姿が見えた。

 学生時代に絶対にスポーツをやっていたであろう、がっしりとした体格。背も高く、顔もそこそこ整っていて見目が良いのだが、いかんせん無愛想なので人を寄せ付けない雰囲気がある。ピレネーとポメラニアンの連想をしなかったら、美晴も怖気付いていたかもしれない。そしていったんワンコのイメージが出来上がると、あの目で、ちょっとした仕草で、好意をこちらに向けてくれているのがよく分かる。散歩途中のワンコに懐かれた気分だ。

「美晴さん」

 こちらの姿に気が付くと、健斗が道を渡ってやって来た。一歩が大きいので、あっという間に距離が縮まる。やっぱりピレネーが駆け寄ってくるイメージだ。

「来てくれて、ありがとうございます」

 そう言う健斗の口調は淡々としていたが、ほっとした空気をにじませていた。

「すっぽかしたり、しませんよ?」

 来ない可能性もあるような言い方に、美晴がぴくりと反応した。

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