叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
「ぷっ、あっはっはっはっは!」

 目の前で笑い転げる友人に、ラルフはじっとりと恨めしそうな視線を向けていた。
 膝を叩いて大笑いしているのは、このサンプソン公爵領の領主の息子、クリス・サンプソンである。

 三つ年上の彼とは子供のころから仲の良い友人で、ラルフは将来領主になる彼の片腕になるために士官学校へ通うことを決めた。だが、そんな固い絆で結ばれた友情も、馬鹿笑いをしているクリスを見ていると、今日を最後にしてやろうかと思えてくる。

 ラルフは、今後の仕事の打ち合わせとして、サンプソン公爵家に来ていた――はずだった。
 二週間後からラルフはここで働くことになるが、ラルフの仕事はもっぱらクリスの護衛である。だから、今後は友人から主になる彼と、その上司にあたる彼の護衛たちと今後の仕事について話を聞くはずだった。

(なぜこうなった)

 きっかけは、仕事の話が退屈になったクリスが、何気なくオーレリアのことを訊いたことがきっかけだった。
 領主の息子と代官の子と言う関係だが、クリスはそれを理由に威張り散らしたりしない。オーレリアとも面識があり、妹がいないクリスは、オーレリアのことをとても可愛がっていた。そんなクリスが、家族を全員失ったオーレリアのことを気にしないはずがない。

 だから、ラルフはオーレリアについて知っていることを話したのだが――失敗した。
 オーレリアの叔父エイブラムのことは、クリスも知っていたらしい。彼の父である領主のもとに、エイブラムからバベット家を継ぐ権利がほしいと申請書が届いていて、クリスもそれを目にしたのだそうだ。
 このままエイブラムに伯爵家を奪われては、オーレリアは家族に次いで大切な家まで失うことになる。それを憂いたクリスは、オーレリアは結婚しないのかとラルフに訊ねた。その結果がこれである。

(そりゃあ俺はオーレリアにこれっぽっちも意識されていなかったけどさ、そこまで笑わなくてもいいだろう!)

 落ち込んでいるオーレリアの心の隙に付け込むようなことはしたくなかったから、もう少し待つつもりだったのに、エイブラムが来て落ち込んでいるオーレリアを見ていたら我慢できなくなった。だが面と向かって結婚を申し込むのは、やはり時期的にまずいような気がして、遠回しに――オーレリアから話を振ってくれないかなと淡い期待をしながら、それとなく結婚を促して見たら、見事に目の前のラルフをスルーされて、「結婚」の二文字だけに飛びつかれたのである。

「そ、そりゃあお前! そんなんじゃわかるわけないだろ……あはははは! あーっ、おなか痛いっ」

 クリスのみならず、ラルフが子供の時から知っている、クリスの専属護衛のドルーとライアスも肩を揺らして笑っていた。あんまりだ。

「そ、それでどうするんだ? オーレリアは婚活するって言い出したんだろ?」
「……だから困ってるんだ」
「ひーっ」

 クリスはとうとうソファに突っ伏して、ばしばしと座面を叩きながら笑い転げる。この笑い上戸め。

「昔からあれだけオーレリアを守って来たのに、全然伝わってないなんて……可哀そうなやつ、あ、あ、あはははははははは!」

 こうなればクリスの笑いの発作はしばらく止まらない。

(こいつが笑いのツボに入ったときはおさまらないからな。スプーンが転がっただけで三十分笑い続けたこともあったし)

 ラルフは腕を組んで、口をへの字に曲げると、彼の笑いが止まるのを待つことにした。
 待っている間、考えるのはオーレリアのことだ。
 オーレリアとラルフは、父同士が仲がよかったため、物心つく前から知っていた。家族ぐるみの付き合いだったのだ。

 赤みがかった金髪に、角度によってはオレンジ色に輝く茶色の瞳を持った愛くるしい少女、それがオーレリアだった。
 家族を失って落ち込んでいるが、もともとオーレリアは活発な性格で、あちこちを駆けまわって転んでも、けらけらと笑い飛ばすような明るく我慢強い子だった。

 いつも笑っていて、何かつらいことがあっても口を引き結んでぐっと耐える。そんなオーレリアを守ってあげたいと思いはじめたのは、ラルフが十に満たなかったころからだろう。
 だから、遊んでいてオーレリアが森で迷子になっていたときも、蜂に刺されて目にいっぱいの涙をためていたときも、悪戯をしてオーレリアが両親から怒られたあとも、ラルフは一番にオーレリアを慰めて、甘やかした。

 今思えば、それがまずかった気がしている。
 オーレリアの兄よりも甘やかして、大切に大切にしすぎてきたからか、オーレリアの中でラルフは完全に「家族枠」になってしまったようだった。
 男として、まったく意識されていないのだ。

(そりゃそうだよな。あいつ、平然と抱きついてくるもんな)

 異性だと認識している相手に、ああも平然に抱きついて来ないだろう。食べ物を口に運ばれても一つも照れやしない。泣きはらした顔を見られても、寝起きの顔を見られても、恥ずかしそうに俯くことはない。……完全に家族枠だ。間違いない。

(まずいよなー、これは……)

 オーレリアは美人だ。彼女が本気で婚活をはじめれば、あっという間に相手が見つかるだろう。これまでは水面下でバベッチ伯爵と交渉して、将来オーレリアと結婚したい旨を伝えていたから、オーレリアに来る求婚は握りつぶされていただけで、その気になればオーレリアはいつだって結婚できたのだ。

(というか、俺がオーレリアを好きなのはあの家の使用人にすら知られているのに、どうして本人は気づかないんだろう……)

 せめて少しでも気づいてくれていたら、ラルフだってもうちょっとぐいぐい攻められるのに、完全に信頼しきった目を向けてくるから、「男」として接することができないのだ。

「あー、おかしかった!」

 ようやく笑いが収まったクリスが起き上がって、目尻にたまった涙を拭った。
 ラルフが無言で睨むと、クリスが悪かったと両手をあげる。

「悪かったって! お詫びと言ったらなんだけど、お前に機会をあげるよ。近いうちに、我が家でパーティーを開いてやる。婚活中のオーレリアなら来たがるはずだから、お前が誘って一緒に来ればいい。そこでダンスの一つでも踊れば、オーレリアだって多少はお前を意識するだろう? 何せお前、顔だけはいいもんな」

 顔「だけ」と言うのが余計だ。
 第一、まるでおとぎ話の王子様のようなキラキラした顔の男に言われたくはない。クリスもその弟のギルバートも、ヴァビロア国ではその名を知らない令嬢はいないほどの美丈夫だった。正直、隣に立たれると完全に霞むから、オーレリアのそばでは自分の隣に立たないでほしい。

 だが、パーティーは悪くなかった。
 思えば、オーレリアが社交界デビューをしたとき、ラルフはすでに士官学校に入学していて、オーレリアとパーティーに行ったことがない。だから当然ダンスを踊ったこともないのだ。
 いくらオーレリアと言えど、ダンスのあの独特な距離感には、きっとドキドキしてくれるだろう。

「そう言うことだから、当日はしっかりめかし込んで行けよ。その中途半端に長い髪も、きちんと整えるんだぞ」

 言われてみれば、少し髪が伸びたかもしれない。もともとそれほど短くしていなかったが、さすがに前髪が目について来たし、切った方がいいだろう。

「そしてオーレリアとうまくいった暁には、今度は僕に協力するんだ、いいよな?」

 レオンがニヤリと笑う。
 ラルフは内心あきれ果てた。

(こいつまだ……エイダ王女のことを諦めてなかったのか……)

 ラルフはものすごく面倒くさくなったけれど、オーレリアとの未来と天秤にかけた結果、多少の面倒くささは我慢してやろうとこっそり嘆息したのだった。

< 3 / 22 >

この作品をシェア

pagetop