閉園間際の恋人たち





「父の指名する女性と婚約することです」


躊躇いなくそう答えた蓮君に、私は一瞬であのときの痛み(・・・・・・・)が蘇ってきた。
暗闇に突き落とされたかのように、心が氷水をかぶったと錯覚するほど、冷え冷えとしていった。

蓮君のご実家はアパレルメーカーを経営されていて、蓮君はその後継者として期待されていたのだ。
つまり………立場的には、笹森さんと似ているわけで、だから………

考えたくはない。でも、どうしたって簡単に考えが浮かんできてしまうのだ。
跡取りとして必要なこと、そのパートナーに求められることは、きっと、子供。
そして、例え蓮君本人がそれを必要としなくても、ご両親や親戚方は必ずしも同意見とは限らないということも。

私は、実体験から得たトラウマにも近い傷跡がこれ以上自己主張を強めぬよう、最大限に自分を窘めた。
笹森さんと蓮君、それから笹森さんのお母様と蓮君のご家族は、まったく違う人なのだからと。


すると、自分でも自覚できるほどに表情を見失っていた私に蓮君が気付いたようで。

「琴子さん、違いますよ?まさか、俺がそんな条件をのむと本気で思わないですよね?あーでも、俺の言い方が悪かったのか………。驚かせてしまってすみません。でも、最後まで話を聞いてもらえますか?琴子さん」

握った私の手を、さらにぎゅうっと閉じ込めながら訴えてくる。
そんな蓮君の態度や、”違いますよ” という逞しい否定は、私が落としかけていた感情のうち、”嬉しい” を呼び起こしてくれるようだった。


「………もちろん。全部聞かせて?お父様の出された条件も詳しく聞きたいし、お母様やご家族の反応も教えて?」

ダメだな、私は……
過去から学んでいない。
笹森さんのことだって、理恵のことだって、もっとしっかり話し合えていたら……そう思ったばかりなのに。

私は蓮君の手の中から抜き出した手で、今度は反対に蓮君の手をぎゅうっと握った。
蓮君は嬉しそうに目尻を下げると、決して感情的ではない落ち着いた話し声で説明してくれた。


「俺は今日の食事会で、自分がFANDAKのダンサーを辞めて実家の ”the Key” を手伝いたいということだけしか話していませんでした。琴子さんをゆくゆくは結婚も視野に入れている恋人として紹介したい気持ちはありましたが、琴子さんの了承なしに勝手なことはしたくありませんでしたし、ひとまず今日のところは俺についてのみの報告にしたんです。でも、やっぱり話していると、無意識のうちにどこかしらに琴子さんの存在が見え隠れしていたみたいで、父はすぐに俺に大切な人がいると見抜いたようでした。それで、FANDAKを辞めて ”the Key” に入りたいと言った俺に、まあ、おそらくは試すような意味合いで、さっきの条件を持ち出してきたんだと思います」

「試すって、蓮君を?」

「俺もそうですけど、俺が今付き合ってる人との真剣度みたいなものを……だと思います。父は俺の ”the Key” に入りたいという希望と恋人を天秤にかけたつもりだったんでしょう。でも当然、俺の答えはノーです。即答です。父もその返事は予想していたようで、はじめから俺に婚約者候補なんか考えてなかったんですよ。だって父は、俺の返事を聞くなりすぐに別の条件を出してきたんですから。むしろこちらの方を本題にしたかったのかもしれません」


”別の条件” と聞いて、私はどうしても心が竦んでしまった。











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