月下双酌 ─花見帰りに月の精と運命の出会いをしてしまいました─
 声と一緒に身体中の息も抜けたようになって、上半身が落ちてゆく。心臓がバクバクして、視線も空から地面に落ちて、ついでにぎゅっと目を瞑った。もう完全に縮こまった体勢なのに、神経だけは張り巡らせている。少しでも気配を感じたら、直ぐに体を起こして彼に駆け寄るつもりだった。
 でも、なにも起きなかった。
 風の揺らぎも、人の表れる気配もせず、吐息も足音も聞こえない。聞こえるのはただ、自分の心臓音。

「暗月……?」

 小さな声で囁きながら顔を上げ、目を開ける。そこにはただ、夜の公園の風景があるだけだった。

 鼓動が、うるさい。脈拍が上がって、息の仕方を忘れそうになる。なんで、なんで暗月は現れないの?
 無意識のうち、心臓のあたりを手で押さえていた。
 月に一度の暗月の夜は、ここに来れば彼がいた。呼ぶことすらせず、当たり前のように彼がいた。そして最後の夜、彼はなんて言った?

 私の名を呼んでくれ。

 その前に。なんか言ってた。

 お前に(しるし)を付けた。見つけたら、私の名を呼んでくれ。

「印!」

 はっとして当たりを見回す。いやそうじゃない。私「に」印を付けたって言ってた。それってどこよ?
 慌てて街灯の下に移動して、指先から手首、袖をまくって腕まで見る。印ってどんなものなの?

 私と暗月を繋ぐ、大切な印。それなのに、どこにも見つからない。見つからない。見つからない。

「なん、で……?」

 まるで足元にぽっかりと穴が開いた様な気分だ。暗月と別れ、飯島さんを選んだつもりになっていた時ですら、自分が呼べば暗月は会いに来てくれると、迎えに来てくれるのだと無意識のうちに思っていた。それが、印が見つからない限り、私は彼と再会出来ない。

「って、攫いにきてよ、暗月ーっ!」

 夜空に浮かぶ月を見上げ、私は虚しくそう叫んだ。
 月はそこにあるだけだった。
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