もう、終わりにしよう
 見慣れてると思っていた彼の寝顔をこんなにきちんと見つめるのは久しぶり、いや初めてかもしれない。
 記憶の中の顔より、はっきりと浮かんだ眉間の皺を指でそっと撫でた。

 ──この皺が深くなってしまったのは、私のせいかもしれない。


 あの夜、私はどうしようもなく疲れていた。
 そしてまた、彼も同じように疲れていたんだと思う。
 些細なケンカだった。

「ちょっと!私の博多限定の玉露まんじゅう食べちゃったの?」

「あー、なんか甘いもの欲しくて」

「パティシエなんて年がら年中甘いもの食べてるんでしょう? 私の楽しみを奪う意味が分からない」

「もう、そんなことで怒んなよ。眠いんだよ」

『ごめん』と言われたら終わるはずだった。
 かみ合わないままの歯車は、その後沈黙へと変化した。


 ”もう、終わりにしよう。今夜うちに来て”

 そんなメッセージが来たのは、2週間後の昼休憩だった。彼の部屋に置きっぱなしの細々したものを思い浮かべる。どれも捨てられてしまっても構わないけど、けじめはつけるべきだと重いため息をついた。

 ──私たちの三年間は、こうして最期を迎えるのだ。

 その夜、彼の部屋のインターフォンを鳴らすが、返事がない。
 先に私物をまとめておこうかと、私は合鍵でそっとドアを開けた。
 暗いはずの室内は明かりが灯っており、リビングに入ると彼がソファで転寝をしている。
 私は、静かに近づいて恋人の最後の寝顔を眺めた。

 私より密度の濃い睫毛、少し段になった男らしい鼻筋、大きな口に薄い唇、組んだ腕に浮いた血管。
 どこもかしこも大好きだった。
 眉間の皺を指でそっと撫でたあと、最後の思い出にとこっそりとスマートフォンのカメラを起動させて、この瞬間を切り取った。
『カシャッ』シャッター音が静かな部屋に響く。
 フォルダに写真が収められていることを確認していると、大きな腕が私を包んだ。

「ごめんな。喧嘩はもう終わりにしよう」

 そう言って差し出された紙袋には、緑のおまんじゅう。

「博多には行けなかったから、作った」

 彼がそっとつまんで、私の口元にもってきたお茶のさわやかな香りのおまんじゅうを口に含んだ。

「全然違う。こんな味じゃない。でも、くやしい。美味しい。こんなの許すしかないじゃん」

「うん」

 彼は目じりに滲んだ私の涙をそっと唇で拭った。
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