手を伸ばした先にいるのは誰ですか
車から降り、上着のボタンを止めた朱鷺の朱鷺色のネクタイ…少し黄みがかった淡くやさしい桃色のネクタイを見ながら、自分が無になる感覚を持つ。心臓の音も呼吸音も何も感じない。
ただ静かに‘和服によくある色だって、朱鷺色’と言って私がプレゼントしたネクタイがこちらへ向かって来たのを見つめていると
「蜷川社長、本日はありがとうございました」
と龍の声が沈黙を破ると同時に車のドアが閉まる音がする。見ると、遠藤さんが車から降りて私に軽く頭を下げてから珍しく頭を少し傾けた。‘何?’といったところか…そうだよね…
遠藤さんを見る私の手から掴んだままだったストールをそっと取った朱鷺がそれを広げて私の肩に掛けると
「忘れ物だ。美鳥が帰ったあと川崎さんから明日の予定変更だとか連絡あったから一応持っておいた方がいい」
仕事用のスマホを私に手渡した。
「あ…置いたままだったね、ありがとう」
そう彼を見上げると…ああ…朱鷺、ごめんなさい…彼の瞳が泣き出しそうに揺れている。きっと他の人にはわからない程度…でも揺れている。そして彼にも私の気持ちがわかったのだろう。安心させるかのように僅かに目尻を下げた朱鷺は
「オークワイナリーさんは…取引先開拓に個別訪問されるのですか?」
と、私の横に並んで龍に挨拶することなく言葉を発した。