天敵御曹司はひたむき秘書を一途な愛で離さない
現地視察
「この辺りは区画整理が終わったばかりでして、ぞくぞくと新しい建物が建ち始めています。住宅需要も高まっているんですよ」
 工事車両が行き交う開けた土地の所々に新しい建物がポツポツと建っている。辺り一帯を見渡すことができる高台に、穂乃果と拓巳、それからこの街に詳しい不動産業者の担当者は立っていた。
「再来年度には、あそこに病院と小学校が来ることになっています。ですから生活に必要なことはこの辺りでこと足ります。我が社が昨年実施したアンケート調査では……」
 担当者からの説明に拓巳は耳を傾けながら、買収を検討中の区画に視線を送っている。今聞いている事柄はすでに頭に入っているはずだから、現地の空気を感じながら計画について思いを馳せているのだろう。
 黒い髪が風になびくのを、とくんとくんと鳴る鼓動を聞きながら穂乃果はジッと見つめていた。
「データでは……」
 なおも説明を続ける担当者を拓巳が振り返った。
「ここは、バランスのよさそうな街ですね」
「え?」
 担当者が説明をやめて首を傾げると、拓巳は駅前へ続く通りを指差した。
「あの先には古い住宅街があって、いいものが揃うと評判の商店街もある。例えば普段は大型スーパーで買い物をしたとしても、特別な日や、好きなものだけはこだわって、商店街で買うというのもできそうだ。あそこには老舗豆腐屋があるでしょう」
「はぁ、豆腐……ですか」
 獅子王不動産の役員から出たとしては少し意外な言葉だったのだろう。担当者は曖昧に応えて目をパチパチさせている。
 でも穂乃果は彼らしい言葉だと思った。
 マンション需要や、不動産の動きはデータを見ればある程度は予測がつく。ここに獅子王不動産ブランドのマンションを建てれば大きな利益を生むだろう。
 でも今彼の頭の中にあるのは、その利益がいくらになるのかという数字ではない。獅子王不動産が建てたマンションに、住む人たちが末永く幸せに快適に生活できるかどうかということなのだ。
「若い世代だけの新しいものだらけの街も魅力的ですが、世代別人口のバランスがいい街の方が、住み続けるにはいいんじゃないと思いまして」
 彼の言葉に、担当者は納得して頷いた。
「それは確かにそうですね、実際に……おっと!」
 するとそこで携帯が鳴り、彼はふたりに断りを入れていったん車へ戻っていく。
 拓巳と穂乃果は肩を並べて真っ白な雲が浮かぶ空の下の、広大な土地を眺めた。
「……副社長は、どうしてこの仕事を選ばれたんですか?」
 気持ちよさそうに景色を見つめる彼の横顔に穂乃果は思わずそう問いかける。なぜだかわからないけれど聞いてみたいと思ったのだ。
 拓巳が少し意外そうに穂乃果を見た。
「あ、いえ。なんでもありません」
 穂乃果はすぐにそう言ってごまかす。秘書が上司に尋ねるにしては、出過ぎた質問かもしれない。
 一方で彼の方はさほど気にする様子もなく、目の前の景色に視線を戻して話し始めた。
「うちの父親と母親はへんな関係でね。夫婦としてはうまくいかなかったが、互いに互いのビジネス手腕を尊重しあう親友のような間柄なんだ。だから俺も親父とはずっと交流があって自然と獅子王の事業に興味が湧いたんだ。親父からは実力がなければ認めないと言われたけど、とにかくやってみたいと思ったんだ。やってみたらすぐに夢中になったよ」
 そう言って彼はすでに家が建って人が住んでいると思しき一帯を指差した。
「あのひとつひとつに人生があるんだ。俺たちが売っているのは物だけど、人が一生のうちで一番長く過ごす場所だ。出来るだけ快適で、幸せな時間を過ごしてもらいたい。そのためにはどうすればいいんだろうと考えるのが好きなんだ」
 そこで彼は言葉を切って照れ臭そうに笑う。
「青くさいよな。新入社員みたいだ」
 その笑顔を見つめながら穂乃果ある感動を覚えていた。穂乃果もまったく同じ思いを抱いていたからだ。
 祖父が立ち上げ、父が大きくした二ノ宮不動産は地元では信頼されていて、小さい頃は散歩に行くとよく母に言われていた。
『あのお家はパパの会社が建てたのよ』
 だから穂乃果も自然と将来は父親の会社を手伝いたいと思うようになったのだ。
 兄の束縛から逃れようと他の会社を選ぶことにした時もやっぱり同業の会社しか頭になかった。
 そして獅子王不動産で働きはじめてすぐに夢中になったのだ。
 でももしかしたら穂乃果がここまで仕事を好きになれたのは、彼の下で働けたからなのかもしれない。
「いやー、すみません。お待たせしました」
 担当者が頭をかきながら戻ってくる。
「いえ、大丈夫ですよ。この辺りはちょっと風が強いですね。あっちに山があるからかな」
 にこやかに応える彼の横顔を見つめながら、穂乃果は泣きそうになってしまう。好きだという気持ちを抑えなくてはならないのに、とてもできそうにないからだ。
 それどころか、新しい彼の一面を知るたびに、どんどん好きになっていく。
 こんなに心を奪われて、いざ別れの時がきたら、いったい自分はどうなってしまうのだろう。
 穂乃果は彼から顔を背けてキュッと唇を噛んだ。
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