*夜桜の約束* ―春―
「はっ、放してっ」

 男は体勢を整えながら、その手の力を弱めるどころか強く握り締めた。

 鋭い目つきがモモを貫き、口元は嬉しそうに片側の口角がいやに吊り上がっている。

 何かが狂ったような歪んだ(わら)い。

 この男の狙いはやはり自分だったのだと、モモはハッとして初めて感じる恐怖に心の底から(おのの)いた。

 が、その時。

 キリキリと音を立てそうなほど自分の手首を締める男の握り拳が、また別の誰かの手で捕らえられた。

 目線を右へ上げる──おどけたピエロ……暮さん?

 ピエロは陽気なステップを踏みながら男をわしづかみにし、一緒にダンスを踊ろうとその身体を抱え込んだ。

 周りで唖然としていた見物客からクスクスと笑いが起こる。

 同じく呆然としゃがみ込んでいたモモは、暮の目配せで自分を取り戻すと腰を上げた。

 ──ここは任せて、モモは逃げろ。

 そう言われたのだと気付き、銃を懐に隠したまま身を小さく(かが)める。

 一番近い出口から一目散に走り去った。



 ☆ ☆ ☆


< 26 / 169 >

この作品をシェア

pagetop