くたびれOL、魔王様の抱き枕を拝命いたしました!?
「「リコ様、お帰りなさいませ」」 

 光が収まると侍女達の声が聞こえて、理子は閉じていた目蓋を開く。
 職場の裏から一瞬のうちに魔国の王妃の部屋へと戻って来ていた。

(便利は便利だけど、寄り道してから戻りたかったな。これが“魔王の命令”の強制力か)

 手の中にあった筈の小さなコンパクトは、幻のように消えていた。

 甲斐甲斐しくエルザとルーアンにより仕事着から着替えさせられて、鏡に映る自分の姿を見て溜め息を吐いた。

 髪はハーフアップで編み込みにセットされて赤い薔薇の髪飾りを挿し、身に纏うのは淡いピンク地に胸元、肩と裾にカーマイン色の薔薇の刺繍が入れられたシンプルだけど綺麗なドレス。
 胸元が大きく開いているため、胸の間にローズピンクに色付く王妃の印が見えてしまい、かなり恥ずかしい。

 此処へ来てから、綺麗なドレスを着られると喜んだのは最初だけ。
 仕事帰りの疲れた体には、ゆるだらした部屋着ではなく体にぴったりしたドレスなのがつらい。
 コルセットでぎゅうぎゅう締め付けられ、胃と腹部が苦しくてえずきそうになる。
 毎日コルセットとドレスを着用している上流階級の女性達は、この苦しみによく耐えてる思うと。


「リコ様素敵ですわ」
「やはり、リコ様は魔王様の瞳のお色の赤がお似合いですわね」

 頬を緩ませるエルザとルーアンに元気をもらい、理子は王妃教育を受けるためにマクリーン侍女長が待つ勉強部屋へと向かうのであった。



 ***



 マクリーン侍女長による王妃教育を終えて、勉強部屋を出る頃には魔国の空は茜色の夕焼けへと変化していた。

 仕事後でも容赦の無いマクリーンとのお勉強で、飽和状態となった頭が重くて若干足元をふらつかせて歩く。
 部屋へ戻ったら、マクリーンから「はしたない」と叱られようがベッドへダイブしてやる。
 そんな事を考えながら黒っぽい艶のある石壁の回廊を歩いていると、先導していたマクリーンが急に歩みを止めた。

 後ろを歩くエルザとルーアンが体を固くしたのが分かり、理子は何事かマクリーンの背中越しに前方へ視線を移した。



「貴女が、寵姫様……ですか?」

 声と共に前方の空間が歪み、歪みの中心からボトルグリーン色の燕尾服を着て、腰まで届く黒髪を一纏めにしたコバルトブルー色の瞳の男性が姿を現した。
 魔王に並ぶくらい整った顔立ちの男性だが、切れ長の瞳が彼に冷たい印象を与える。

「印があるということは、寵姫様はお妃様になられる方、でよろしいでしょうか」

 男性は、庇うように立つマクリーンには目をくれずに、真っ直ぐに理子へ向かって歩いてくる。

「お待ちくださいませ、ダルマン侯爵様」

 手を伸ばせば触れる距離まで近付いてきた男性に、マクリーンは焦って上擦った声を出す。

「貴方は、どちら様でしょうか?」

 理子の問いに、ダルマン侯爵と呼ばれた男性は口元だけの笑みを浮かべる。

「これは失礼いたしました。私はカルサエル・ダルマンと申します」

 射抜くような鋭い視線を理子に向けたまま、カルサエルは会釈をする。

「私は、リコ・ヤマダです」

 マクリーンから教わった淑女の礼をとり、理子はカルサエルにぎこちない笑みを返した。

「リコ様はとてもお可愛らしい方ですね。これ程まで魔王様の魔力を体へと受け入れているのに、少しも精神が蝕まれていないとは……素晴らしい」
「え、あの?」

 よく分からない称賛を並べながら、カルサエルは理子の手を取る。
 冷たい瞳を持つとはいえ、美形の男性に手を握られて理子は困惑してしまった。

 手を離そうとしないカルサエルと困惑する理子を見かねてマクリーンが間へと進み出る。

「申し訳ありません、ダルマン侯爵様。魔王様がお待ちになっていらっしゃいます」
「魔王様をお待たせしてはいけませんね」

 理子の手を握ったまま、カルサエルは恭しく腰を折りながら頭を下げる。

 ちゅっ、
 軽いリップ音がして、理子は手の甲に口付けられたと気付く。

「へっ、あ?」

 手の甲へキスという挨拶をされて、理子の頬は熱を持つ。

「ではリコ様、失礼いたします」

 口元だけでなく、初めて目元を緩めた笑みを湛えたカルサエルはくるりと踵を返して立ち去って行った。
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