くたびれOL、魔王様の抱き枕を拝命いたしました!?
 離れたいのに手首を掴まれて離れられない。どうしていいのか分からず、理子は眉尻を下げて魔王の手を見詰めた。至近距離に美貌の魔王がいるという、特殊な罰ゲームのような状況になるべく魔王の顔を見ないようにする。
 俯けば綺麗なお顔を見ない代わりに、少しはだけた胸元が視界に入ってしまい堪らず理子は瞼を閉じた。
 距離が近付いたせいで気付いてしまった。魔王が纏う香りは、理子の髪から仄かに香るジャスミンの香りと同じだったのだ。
(これって、彼氏宅にお泊まりして同じシャンプーを使って同じ匂いになった、的な状況? 魔王が彼氏とか、想像するだけ無理無理! 色気に負けて吐くか鼻血を出してしまう。それ以前に彼は人外!)
 学生時代の苦い思い出、付き合った彼氏に二股された挙げ句こっぴどく振られた嫌な記憶から、理子は男性に対して必要以上に構えてしまうのだ。
 その嫌な記憶もあり、魔王に近付かれるのはトキメキよりも戸惑いの方が強い。
 内心、汗だくになった理子は目尻に涙を溜めて「手……」と蚊の鳴くような声で呟き、覚悟を決めて魔王を見上げた。
「リコ」
 うっすら涙を浮かべている事に気付いた魔王は、掴んでいた手首を離す。と、同時にふんわりと理子の両肩を紫紺の肌触りの良いストールが包み込む。
「そのままでは風邪をひく」
 目を見張る理子の胸元で、魔王の白く長い指がストールの両端を器用に結ぶ。
 肩に巻き付けられたストールは、カシミヤ素材に似た柔らかな肌触りとあたたかさで、理子は魔王の結んでくれたストールの結び目を軽く握った。
「魔王様、ありがとう」
 はにかみながら礼を伝えれば、魔王が僅かに目を見開いた気がした。
 気がしたのは、直ぐに魔王が視線を横へと逸らしたからだ。
「リコ……そろそろ寝るぞ」
「帰してくれるの?」
 突然、寝ると言い出した魔王へキョトンと聞き返す。
 以前、帰れるかは分からないと話していたのにあっさりと帰してもらえるのかと、そわそわしている理子を見下ろした魔王は怪訝そうに眉を寄せる。
「何故、今すぐ帰る必要がある? 共に眠ればよかろう」
「はっ?」
 口角を上げた魔王は爆弾を落とし、たっぷり十数秒は理子の思考は停止した。
「えーっと、私に魔王様と一緒のベッドで寝ろと?それとも床で? 椅子で?」
 今すぐ帰してもらえないのは残念だ。ベッドには主人が寝るべきだから、理子は床か、椅子か迷っていた。
 出来たら椅子より床がいい。毛足の長いふかふかの絨毯なら、気持ち良く寝られそうだ。
「リコは床や椅子で寝たいのか?ベッドで寝るのに、何か問題でもあるのか?」
 問題有りまくりだ。魔族は、魔王は人と感性や一般常識とやらが人とは違うのか。
「いや、いくら何でも、男女が同じベッドで寝るのは、色々と問題があると思いますよ。少なくとも私の世界では」
「成る程。だが、心配は不要だ。共に寝たとしても、我はリコに手は出さぬ。出せぬ、と言った方が正しいな。異世界の住人であるお前は魔力を持っていない。そのため我の魅了の魔力に惑わされることもなく、我と長時間向き合っていても正気でいられるようだが」
「そうなの?」
 髪から発せられる燐光や、強烈な色香は彼の魔力のせいなのか。
 魔王に魅了されないという理子は、魔力が無くて良かったのか。魔力が無い身としたら魔法が使えた方が便利だと思ってしまう。

「だが、この世界では身に宿る魔力は他の者の魔力から身を守る術でもある。魔力を持たぬリコと、我が体液の交換をしたらお前は死ぬ。ほとんど魔力を持っていない凡庸な人とならともかく、リコは魔族と交わったら確実に死ぬな」
 手を出さないと宣言されて嬉しい筈なのに、理子は何故か激しく動揺する。
 今後、何かの間違いで、魔力の強い相手に手を出されたら……命は無いということか。
「たっ、体液って。交わるって」
「交わらなくても、唾液の交換だけでも無理だな。つまり、我とは舌を絡ませるような」
「わっ分かるから描写はいらない!」
 綺麗な魔王が言うとやたら卑猥に聞こえて、理子は彼の台詞を途中で遮った。
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