くたびれOL、魔王様の抱き枕を拝命いたしました!?
 夕飯を食べ終わった後、すっかり日は暮れて夜の帳が落ちていた。

 この後、魔国へ戻るものだと思っていた理子の手を引きシルヴァリスが向かったのは、海辺にかかる桟橋を渡った先。海中に支柱を立てた上に建つ白壁に赤い屋根のお洒落な建物だった。
 建物の中へ入れば、此処は何かの受付け場所らしくカウンターと長椅子が二台並んでいる。

 カウンター越しに、口髭を生やして日に焼けた小太りの中年男性が理子達をにこやかに出迎えた。

「やあ、リンダから話は聞いてるよ。新婚さんなんだってね。一番離れた所を押さえておいたよ」

(リンダとは誰? 一番離れた所はと何の事なの?)

 男性の話が理解できずに、理子は隣に立つシルヴァリスを見上げた。

「隣に気を使わないで大声をだせるからね」
「それは助かる」

 意味深な笑みを浮かべる中年男性とシルヴァリスのやり取りを聞いて、何となくどういう事か分かってきた理子は回れ右をして逃げ出そうかと思った。
 だが、足を踏み出した途端、右手首をシルヴァリスにガッシリ掴まれてしまう。……これで、彼からの逃走は不可能となった。


「おかしい……何でこんな事になったんだろう」

 波の音が聞こえる潮と木の香りがする室内で、理子は長椅子に足を抱えて座り太股の上へ乗せたクッションに顔を埋めた。
 まさか知らぬ間に、水上コテージを予約されていたとは思わなかった。

 海外リゾート地を紹介する旅番組で、芸能人が泊まっていたのを見て憧れた事もある茅葺き屋根の水上コテージ。
 コテージの内装は、シンプルな天蓋付きベッドや広い浴室とトイレも完備、という先日泊まった宿屋より充実したものだった。
 部屋のテラスから直接海に降りる階段がついていれるため、泳ぎたくなったら何時でも海に飛び込める仕様になっている。

「やっぱり謀られた、のかな」

 水上コテージの手配は、理子が薬膳ジュースを飲んで悶絶している間に薬膳ジュースの売り込みをしていた中年女性経由でシルヴァリスが依頼したという。
 いくら気を許しているとはいえ、拗らせまくった感情を持った相手とお泊まりとか少々、否かなり緊張する。

「相手は魔王なのに、すっかり油断してた。私ってチョロイな」

 そう、油断しきっていたのだ。
 今までも魔王は、何重もの策を使って理子を囲い込んで逃げ道を無くしていったのに。

(でも……)
 
 シルヴァリスと二人っきりのお泊まりが、嫌じゃないと思っている自分がいるのだ。
 迫られたら拒める自信は無い。
 拒まなければならないのに。魔王と体の関係を持ってしまったら死んでしまうのに。

 悶々と悩ませている原因、シルヴァリスは只今入浴中。
 波の音に混じって聞こえるバスルームからの音に、理子は恥ずかしくなってテラスへ続く大きな窓に視線を移した。


「綺麗ー」

 空には数多の星が煌めき、大きな満月が海を照らす。
 昼間の澄んだエメラルドグリーンの海とは違った、静かな海は満月の光で黄金色に輝いていた。

「海って、こんなに綺麗だったんだ」

 理子の口からホゥと感嘆の息が漏れる。

「いつの間にか、私は景色を見る余裕も無くしていたんだなぁ」

 社会人になってから、無遅刻無欠勤、頼まれた仕事は「勉強のため」と笑顔で引き受けて、ずっとがむしゃらに働いてきたと思う。
 頑張って働けば認めて貰える。でも、何時しかゆっくり時を楽しむ時間を忘れてしまい、眉間に皺ばかり寄せていた。
 特に、数ヵ月前は酷かった。自分の心身の限界にも、周りの気遣いも全く分からずにただ一日をこなしていた。
 自分が壊れかけている事に気が付かせてくれたのは、異世界の魔王。
 軋む心を助けてくれたのも魔王。

(私は、彼とどうなりたいのだろうか。好き、だとは思う。でも、どうしたらいいの?)


「リコ」

 ぼんやり海を眺めて思考に耽っていた理子は、弾かれるように振り向いた。

「お前も入るがいい」

 バスルームから出てきたシルヴァリスは、濡れたアッシュグレーの髪を無造作にタオルで拭いていた。
 濡れた髪と僅かに上気した肌が色っぽくて、理子はなるべく彼の方を見ないように顔を背けた。
< 95 / 153 >

この作品をシェア

pagetop