策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
「汚いものでも持つみたいに」
「俺、潔癖症だから」
 よく言う。

 さっき公園で、私が泣いたあとに鼻をかんだティッシュを手のひらで受け止めて、ごみ箱に捨てて来てくれたくせに。

「今まで、卯波のことが好きって気持ちでがんばってこられただろ。なんだってできたじゃないか」
 院長の熱い気持ちが嬉しくて何度も頷く。

「だから、好きなら家柄なんか気にすんな。卯波の家なら、なんの心配もいらないから忠告してるんだよ」

 悩むお前は馬鹿だとでも言いたげに、ぼそぼそ独り言を呟いている。

「ありがとうございます」
 院長、もう私たちは別れたんですってば。

 卯波先生のことは大好き。
 でも院長も知っての通り、私はふられちゃったでしょ。

 ずっと好きだと想いつづける。私ができることは、ただもうそれだけ。
 それだけは院長との約束を守れる。

「なにが食べたい?」
 ん?
「ぼけっとしてんなよ、なにが食べたいか聞いてんだよ」

 さっきまで卯波先生が歩いていたのかな。
 なんて想うとアスファルトさえも愛しい。

 地面まで愛しくなるなんて、卯波先生のすべてがいとおしくてたまらない。

「にやにやすんなよ、気味が悪い。なにが食べたいんだよ」
「イタリアンがいいです」

 何度も友だちが連れて行ってくれたときは、別れのショックでほとんど喉に通らなくて食べられなかった。

 今日はモリモリ食べられたらいいな。

「男を(とりこ)にさせる恋愛講座な、よく聞いておけよ」

 いたずらを思いついた子供みたいに、きらきら光る院長の目を、初めて見るものを見たように見入る。

「なんですか? そのインチキ恋愛講座は」
「なんとでも言え」
 前に卯波先生が、院長の学生時代からの恋愛話を聞かせてくれたもん。

 その話からすると、院長の恋愛講座はインチキ恋愛講座だと思う。
 話半分で聞いておこう。

「なにが食べたいかの質問に対する、模範解答な」
 無言のまま、目にだけ同意を含んで頷く。

「場所じゃなくて食べる人が重要なんです。あなたと食べられるのなら、私なんでもいい」

「声まで変えて気持ちわ、っと、えへ」
「今、気持ち悪いって言いかけたよな。なあ、言いかけたよな?」

「いいえ。言いかけたのは、気持ちはいいもんだです」

「温泉に入ってるオヤジかよ。じゃあ、えへはなんだよ、えへは」
「えへ」

「調子いいな。緒花ってさ、本当に調子いいよな」

 西日が眩しい夕暮れのアスファルトに、院長と私の長い影が、いつまでも揺れていた。
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