策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
「スイカズラ」

 私の顔を、ちらりと見てくる卯波先生の顔が、沈みかける夕日を浴びて茜色に染まり、眩しそうに目を細める。

「連れて行ってください。嬉しい、また二人で見たいです!」
 胸がどきどき動悸を打つ。

 嬉しいなんて、私の感情からなくなったかと思った。

「十一時に迎えに行く」
 夢みたいな展開が、まだ信じられない。

「明日、起きたら夢だったなんて」
「ことは、ない、支度して待っていろ」

「嬉しいです。こうして、卯波先生といるのさえ幸せなのに」
「また震えている」
 体が震えるほど、喜びが込み上げるの。

 あまりにも嬉しくて、襟もとからぞくぞくする。
「身震いまでして。身を震わすほど嬉しいのか」

 今日のできごとは、本当に夢じゃないの?

「上の空で、心ここにあらず」
「あっ、すみません。今日一日のできごとを、朝から順番に辿ってました」

「頭の中の引き出し。建付け(たてつけ)はスムーズだったか?」

 卯波先生が、自分のこめかみに人差し指で軽く触れ、口角に笑みを浮かべて質問してくる。

「五分前のできごとのように、はっきりと思い出せますよ」
 唇を尖らせる勢いで抗議して、歩きながら背伸びをした。

「その唇はキスをしたくなる」
 卯波先生の冗談とも本気ともつかない顔と声。

 思わず地面に(かかと)をつけて俯いたら、手をつないでいる手首が“歩け”と合図をしてくる。

「しないよ」

 控えめな笑い声を漏らして、私の瞳を二秒だけ見たかと思えば、また視線を前方に戻して、なに食わぬ顔で歩きつづける。

ここでは(・・・・)
 遠くに視線を馳せるようにして、ちらりと私の様子を伺ったみたい。
 
 ここではって、じゃあどこでなら。

 あああ、恥ずかしい。私ったらなにを考えているの、馬鹿。

「桃がお望みの場所なら、どこでだって」
「恥ずかしいですから、心を読まないでくださいったら」

「コントロールを、オフにしていてもわかる。もの言わない動物相手の仕事をしているんだ」
 それもそうだね。

「桃の顔、言葉、しぐさでわかる」
「今はオフですか?」
「ああ、今は」
 この帰り道だけでも、オンとオフのコントロールをしているんだ。

「離れてたときの、私の心も読んでましたよね。どうしてオンなんかに」
「いつか言っただろう、離れているからこそオンにするって」

「だからって、体調を崩してまで」
「まさか、体調を壊すとは思わなかった。生まれて初めての経験だった」

「まるで、ひとごとみたい。無謀です」
「桃を気にかけずに放っておくほうが、俺にとっては無謀だ、とてもじゃないが無理だ」

 そう言われて、心から嬉しいと喜べない。なんとも形容し難い複雑な気持ち。

「桃に出逢うまでは、こんな自分がいるなんて知らなかった」

 子どものころから感じていたエンパスという違和感。
 そこへもってきて、初めて体調を崩したなんて、どんなに苦しくて不安だったことでしょう。

 以前、真冬に再会したとき。
 あのときは感情を捨てたような、意思も感情も持たない目だった。
 そう、命が宿っていないって言ったらいいのかな。
 どんよりとした瞳は、焦点を失い正気を失っていたのに。

 どうにか力になりたくて、卯波先生の顔を仰ぎ見た。

 今、目の前にいる卯波先生は、なにかを決心したような、生きいきとした強い眼差し。

 本来の姿に戻ったんだ。

「そうだよ、もう過去のことだ。俺たちには未来が保証されている」
 たまにはエンパスもいいね。
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