モテ男子はミソ・ラブ女子に陥落する

四 味噌に恋は混ぜなくていい

 沙也は自分が進みすぎてしまったことに気づいて振り返った。菖蒲を観賞しながらこちらにゆっくりやってくる祐司郎を見て、控えめに言っても見惚れてしまった。

 今の時代、男だから女だから、男らしく女らしく、なんていう考えは古いし、間違っていると沙也も考えている。性別や学歴や出自で人を選別する考え方は偏見で、大事なことは、その人自身だ。

 だが、それでも、男性が花の中で絵になることは衝撃的だった。まるでネットやテレビなどでよく見るイケメン俳優を使った広告のようだ。

 なんとか祐司郎のカノジョの席に座ろうと、アプローチをする女たちの気持ちがわかる気がする。

(かっこいい)

 会社でスーツをビシッと決めている祐司郎の姿もかっこいいと思うが、腕まくりした白シャツにモスグリーンのカーゴパンツ、斜めがけのショルダーバッグ姿のほうが沙也の好みド真ん中でドキドキしてしまう。

 さらにこの緊張に拍車をかけているのは、昨夜かかってきた沙紀子からの電話だった。

――友達の娘さんが結婚するんだって。あんたはどうなの? ホントにいないの?

 父とケンカしたらすぐに連絡してきて愚痴ってくる沙紀子。それが今回は、友達の娘の結婚で、とは。沙也が恋愛にアンテナを向いていないことを承知しているはずなのに。

(お父さんに、ウザいからケンカしないでって頼んだトコなのに、友達関係でも連絡してこられたら打つ手なしじゃない!)

 悶々としていたところに祐司郎のこのビジュアル。意識はどうやっても恋愛ベクトルを刺激してしまう。

(ダメダメ。この人は超がつくほどのモテ男子。地味で味噌ヲタの私なんかとてもじゃないけど手が届く相手じゃない。それに、もし会社でバレたら、大変なことになる。絶対、生きていけない)

 女性スタッフたちにバレて地獄を見る図が浮かんできて、沙也はふるふるとかぶりを振った。

(怖い怖い、それは困る。会社を辞める気はないし、地獄なんか見たくない。明日の本番が終わったらそれで終わりなんだから不要はことは考えない)

 心の中のリセットボタンを押してフラットでニュートラルな気持ちで練習をこなし、明日の本番に臨む。沙也は改めて決意した。

 菖蒲を観賞した後は車で祐司郎の住むマンションに戻り、そこからバスで銀座へ向かった。

 昼間から高いランチをごちそうになり、恐縮のままについていくとブティックへと入っていく。てっきり祐司郎の買い物だと思っていたら、明日のためと店員を呼んで沙也の服を買おうとするから驚いた。

「買ってもらうわけにはいきません!」
「でも、こっちの都合でわざわざ来てもらうんだから」
「それとこれとは別の問題です」

 祐司郎の目が、沙也の頭から足元まで上下に動く。値踏みされているみたいで一瞬不快に思ったが、同時に自分の服装がダサいと言われているような気がして息をのんだ。

「俺が沙也ちゃんを想うばっかりに、服とか鞄とか靴とか、とにかくいろいろプレゼントしたくて仕方ないっての演出するのも手だと思うんだ」
「え……え? でもっ」
「明日、どれもこれもいっぱいプレゼントしたんだって俺がアピールしたら、沙也ちゃんはいろいろ買ってもらえてとっても嬉しいです、にこっ! って感じで合わせてくれないかな」
「でも……」
「両親は、俺が女性にプレゼントすることはないっての知ってるから、絶対効果ある」
「そうなんですか?」
「そうとは?」
「女性にプレゼントはしないって……」
「おう。デートはするけど、プレゼントはしない。なんてのかな、手元に物があると人間って思い出と重ねて執着とかするだろ? だから遊びには行くけど、モノを買ってあげるとかはしないことにしてるんだ」
「…………」

 お前、ワル?――と言いそうになって、慌てて口をつぐんだ。そして、それってズルいと非難すべきか、だから沙也も誤解しないようにと釘を刺しているのか、どう解釈すべきなのか混乱する。しかしながら、彼の両親を信じ込ませるために有効だと言われたら返す言葉がない。

(私の演技だけじゃ不安だもんね、でも……)

 誤解するなというけん制であっても、誤解してしまうというものだ。

(モテることは悪いことじゃないし、罪ではないけど……黒崎さんってやっぱりワル男?)

 その後は、歩き回って疲れたらカフェでブレイクタイム。それからまた鞄や靴を買い、夜はお高いすし屋で食事。帰りはタクシーだ。

「今日はありがとうございました」
「どういたしまして。じゃあ、明日、一時に迎えにくるから」
「はい」

 祐司郎を乗せたタクシーが去っていく。沙也はそれをしばらく見送り、部屋に戻ってきた。

 紙袋を床に広げ、呆然とする。ブランドの服、靴、鞄、そしてアクセサリー。味噌旅行費のために節約が欠かせない沙也では、絶対に買わない&買えないものばかりだ。

(もしかして、みすぼらしいって思われてる?)

 その可能性は大かもしれない。誤解するな、のけん制どころか、あまりにあまりな様子で、親に反対されるとでも思っているのだろうか。

「うーん」

 高級店に躊躇なく入り、惜しみなく買い物や食事をする祐司郎。外見だけではなく立ち居振る舞いも洗練されているし、菖蒲の中にたたずむ様子は絵になっていて見惚れるほどだ。思いだすだけでドクドクと鼓動が強く打っているのを感じる。体も熱い。社内外の女性が彼に気に入られようとするのもわかる。

(誤解するなと言われても、するよね)

 あんな人がカレシだったら――と、つい思ってしまう。

――誰だって自分はかわいいよ。いつか自分もヒーローヒロインになりたい、なれるんじゃって思いがちだけど、なれるヤツは選ばれた一握りだ。沙也ちゃんがソイツのことをイケメンのスパダリだって本気で思ってるなら、ヘタな期待はしないほうがいい。

 いとこの勇仁の言葉が脳裏によみがえる。その言葉には納得している。確かにヘタな期待はしないほうがいい。

(期待なんてしてない……はずなんだけどな)

 悶々と悩んでいる自分が信じられない。
 沙也の視界には四台の冷蔵がある。沙也の宝物が入っている。
 味噌一筋のはずなのに。味噌一筋のはずなのだ。

 異性といい雰囲気になっても、味噌の話をし始めると止まらなくなり、相手にドン引きされて去られてしまう。家族や友達には恥ずかしくて言っていないが、まだ早い焦る必要はないと思いながらも合コンや婚活パーティっぽいものにも参加したことがあるのだ。だが、どれもうまくいかなかった。

 誰にだってハマっているものくらいあるのに、なぜ味噌がダメ? と悩んだこともあったが、それは味噌に問題があるのではなく、味噌を愛する自分の熱意の問題だと気づいた。

(そうよね。好きが高じて、冷蔵庫四台も買わないよね。でも、クッソ暑い東京のワンルームマンションでは、常温で置いておけるような涼しい場所なんてないからさ。冷蔵庫に頼るのは仕方ないのよ)

 それに、と思う。

(最初はちゃんと休みが取れて、お給料ももらえる仕事に就ければいいと思って、AMP社に入った。自分には事務の仕事が向いてるとも思ってた。だけど、最近は、味噌関係の仕事に就いたほうがいいかなって思い始めてる。もし自分で会社なんか興したら、恋愛なんてしてる余裕なくなるしね)

 恋と仕事と趣味、どれか一つを取るのではなく、そのどれもにバランスよく注力すればいいのだ。沙也は、はあと大きな吐息をついた。

(私の欠点は不器用ってことよね。今の私に恋は必要ないし、地味な私には黒崎さんのようなハイスペックは恐れ多いんだからヘタな期待もしていない。明日は頼まれたことを果たすだけ。それで終わり。もう何度もこの結論に至ってる。答えはわかってるんだから、いつまでも、何度もウジウジ考えない)

 気分転換しようと、コーヒーか味噌汁か、どっちがいいか考えた。

(うん、気合いを入れるためにも、お味噌汁にしよう。今夜は辛口の赤味噌かな)

 赤味噌が入っている冷蔵庫を開け、赤色辛口味噌である仙台赤味噌を取り出した。

「うーん、長期熟成の濃厚な赤味噌も素敵。やっぱ、私にはお味噌さえあれば十分! 幸せぇ~」

 さっきまで悩んでいたことは、味噌のおかげでひとまず頭の中から追い出すことができた沙也だった。
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