モテ男子はミソ・ラブ女子に陥落する

三 モテ男子は思案する 安全最優先なので仕方なし!

 ゆっくりとフロア内を見渡す。アパレル会社だけあって女性スタッフ率は高い。そしてさすがファッション業界を志望するだけあって、美女、もしくは洗練されている者が多くてフロア全体がファッショナブルだ。

 そんなフロアをさり気なく見渡しつつ、祐司郎は誰か頼める人はいないか……と思うのだが。

(ヘタに声をかけたら誤解を与えかねないし、それを理由に距離を詰められては迷惑だ。ここはなんとしても誤解を与えない相手に……いやいや、それは難しいだろう。……既婚者とか? いやいやいや、もっとややこしいことになりそうだ)

 脳内、いろんな考えがせめぎ合う。

(いや待て、別にデートに誘うわけじゃなく、出張中ペットの世話を頼むだけだから誤解もなにもないだろう。いやいや違う、そうじゃない。そこじゃない。頼むという行為自体が誤解を与えかねないってことだ。それにフランソワーズの面倒を見てもらうのは通うか泊ってもらうしかない。部屋に出入りするとなると、会社の人間はマズかもしれない)

 脳裏に行きつけのラウンジの美女たちの顔が浮かぶが。

(いやいや、彼女たちは不規則だし、無理だろう。野田が言うように、ペットホテルを探すほうが早いか……)

 早くも心は挫折に傾いている。だが、祐司郎は刹那に否定した。

(いや、やっぱ、それもダメだ。たぶん預かってもらえない。それにきっとフランソワーズも嫌がるだろう。誰かに頼まないといけない。くそ、部長御自らの指名だぞ、気合い入れて取り組まないといけないってのに、それにプロジェクトも佳境になりつつある状況なのに、集中できない。くそっ)

 もう一度フロアを見渡す。頼みやすいスタッフや引き受けてくれそうなスタッフは何人もいる。が、フランソワーズがストレスを感じない相手であることが大事だ。となると、頼みやすい難いは関係ない。

(フランソワーズは気難しい。欲求を満たしてやらないと怒るし拗ねる。いやいや、フランソワーズも扱いにくいが、女のセレクトはもっと難しい。微妙な匙加減を誤ると地獄を見ることになる)

 悶々と考えている祐司郎の目にメールの着信を示すアイコンが映った。

 明治からだ。慌ててクリックし、添付されている資料を保存する。それからパソコン右下に表示されている時計に視線を動かす。

(ヤべ。もう九時半。三十分もフランソワーズのことを考えてた)

 ダウンロードした資料を展開し、アウトプットする。それからコピー機のもとに歩み寄る。そこには同じく営業の田代がいた。今日もスーツが決まっている。

「もうすぐ終わるから」
「いや、急いでないので大丈夫」
「そう? ごめんなさいね」

 ニコニコニコ……と笑みを向けられる。そのまなざしの奥にある感情を祐司郎は敏感に察しているが、顔にも態度にも出さず、クールに微笑で返す――のだが、今日は違った。唇の先まで、一週間ペットの面倒を見てもらえない? という言葉が出かかる。が、すんでのところで思いとどまった。

(こいつはやめたほうがいい)

 危険を嗅ぎ分けることには自信がある。自分の第六感を祐司郎は信じている。

「あ、終わった。それじゃあ。あ、黒崎さん、またみんなで飲みに行こうよ」
「いいね、時間が合ったら、ぜひ」

 田代は投げキスでもしそうな勢いで手で合図を送り、自分の席に戻っていった。

(聞かなくて正解だったな)

 少々安堵し、出てきた資料を手に取って祐司郎も席に戻る。そして資料に視線を落とした。

 内容が頭に入り始めたら、さすがに集中し、フランソワーズのことは微塵も浮かばなくなった。

 しばらくして、ふと肩をたたかれ、はっと我に返る。顔を上げると同じ課の新山と佐山が横に立っている。この二人は苗字に『山』がつくので、『山々コンビ』と呼ばれていて、いつも二人で祐司郎を誘いに来るのだ。

「黒崎さん、もうお昼よ」
「社食じゃなくて外に食べに行くんだけど、一緒にどう?」

 周囲の目を気にして単独では誘ってこない。

「悪い、なるはや片付けたいから集中したいんだ」
「そっか、了解」
「無理しないようにね」
「ありがとう」

 満面の笑みで礼を言うと二人はうっすら頬を染めつつ、小さく手を振ってランチに行った。

 それからまた少し経つと、ランチから帰ってきた事務の浅田が声をかけてきた。

「大変そうですね。なにかお手伝いすることがあったら言ってくださいね」
「サンキュ。でも大丈夫、送られてきた資料の中身を頭の中に叩きこむだけだから」
「そうですか」

 浅田の顔に笑みが浮かぶが、まなざしには残念な色が浮かんでいる。

(みんな親切なものの、下心見え見え。もしかしたら一発了解で引き受けてくれるかもだけど、あとで引きずりそうで怖い。それにフランソワーズを餌になにか言われるかもしれないし。くぅ、安全な女いないかなぁ。けど、プライベートなことを頼んだら、そら誰だって特別感抱くわな)

 はあ、とため息をつき、祐司郎はまた資料に視線を落とした。
 集中力が途切れたのは夕方だった。空腹が最高潮に達し、一服しようかと立ち上がる。

(社食に行くのも面倒だな。けど、腹はすく……あ、そうだった)

 外回りが多い祐司郎は滅多に利用しないので忘れがちだが、HQM部の入り口付近に、菓子ボックスがある。旅行や出張の土産を個別に配ることをせず、そこに置いておけば欲しい者が勝手に取っていくのだ。配るとなると人数分必要になるので買う側は負担だし、出入りの激しいスタッフでは机に置きっぱなしにもなるし、好き嫌いがあってもらってもうれしくないケースもある。そういうことへの配慮から生まれたのだが、中には自ら作ったお菓子を置いていく強者もいた。作るのが好きだが、消費できなくて困るらしい。

 そこへ行けばなにかあるかもしれない。そう思っていざ足を運んだら、人がいた。

(地味女子の神南さん……)

 AMP社は事業部決済制度なので、それぞれの部に総務課や経理課がある。彼女はHQM部の総務課に所属している。ファッショナブルなスタッフが多いこの会社で、数少ない『普通』の色が強い女性スタッフだ。

 服装も化粧も、特に気を遣っている様子もなく、どこにでもいる石っころみたいな感じで、陰で『地味女子』と揶揄されている。祐司郎的にも範疇外なので気にしたことはなかったが、改めて見ても、地味だ。

 気配を感じたのか、沙也が振り返った。

「あ、黒崎さん。お一ついかがです?」

 差し出されたのは小袋だ。かわいいイラストがプリントされているものの、中身がなにか想像がつかない。

「これは?」
「梅鉢最中です。金沢に行ってきたので」
「へえ」

 そう答えつつ、祐司郎は沙也の顔を見てから差し出された小袋を受け取った。

(俺より一歳年下で、一人暮らしだって誰か言ってたような……)

 正直、外見的にはタイプではなかった上、他の女性スタッフのように仕事のこと以外話しかけてくることがないので、普段は意識の外にいる人物だ。が、この『話しかけてくることがない』というキーワードが、祐司郎の抱えている問題に、見事にヒットした。

 フランソワーズのことを頼んでも、特別感を抱くことはないだろうと思ったのだ。

「神南さん、ちょっといい?」
「はい」
「実はその、折り入って頼みがあるんだけど」
「頼み? なんです?」
「すごく言い難いんだけど、プライベートなことで」
「…………」

 沙也が怪訝そうに眉間にしわを寄せた。祐司郎が睨んだ通り、沙也は他の女たちのように取り入ろうと考えていない。

(ここは安全第一だ。神南さんなら期待しないだろう。この人、男に興味ないって誰かが話していた気がする)

 祐司郎は腹を決めた。

「実は、明後日から一週間、上海に出張することになったんだ」
「ずいぶん急ですね」
「そうなんだよ、今朝、部長から言われてさ。まあ、それはいいんだけど。困ったことに、今、俺、妹のペットを預かっていてさ」

 それで言いたいことを察したようだ。沙也は小さく数回顔を上下させた。

「餌とトイレの掃除だけでいいんだけど、頼めないかなぁ」
「え……でも……」

 祐司郎は手を合わせた。

「頼むよ、この通り」
「うーん。黒崎さんのお願いなら、喜んで引き受ける人、いっぱいいると思うんですけど」

 なんで私? という感情が前面に出ていて、祐司郎は自らの決断に自信を持ったが、だからと言って、あなたは俺に取り入ろうとしてないから、とも言えず、かといって妥当でもっともな理由が思い浮かばない。

(ここはあまりムリクリ理由をこじつけないほうがいいだろう)

 口元がひくつくのを感じならが、困ったような表情を作る。

「プライベートなことを頼むって、ほら、いろいろリスクがあるだろ?」
「期待をいだかせるからってことです?」

 祐司郎は微笑んだまま、うんうんうん、と小刻みにうなずき、言葉にすることを避けた。

「なるほど。確かにそれはそうですね。わかりました、お引き受けします」
「ありがとう! 助かるよ!」

 沙也の顔がうれしそうに輝く様子がないことに、祐司郎は安堵したのだった。

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