仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない


 電話一本で気持ちを切り替え、一瞬で覚悟を決めないといけない医師という職業は、すごいと思う。なおかつ、長いオペに耐えられる体力もいるのだ。

 どうしたらそんなに、モチベーションが保てるのだろう。本当に、尊敬しかない。

「じゃあいってくる」
「あの、大知さん」

 ドアの奥に消える寸前、杏が呼び止めた。

「どうぞご無理なさらず。いってらっしゃい」

 大知からわずかに感じる緊張感を受け止める様に、柔らかく微笑んで見せる。

 大知は一瞬とキョトンとしたあと、すぐに目を細め「あぁ」とわずかに口元を緩ませ、足早に行ってしまった。 

 大知は受け持ちの患者の急変に、少なからず動揺しているようにとれた。
 
 笑顔は緊張をほぐす、最高のスキルといってもいい。杏はそれを知っていて、時間がないのにもかかわらず、わざわざ呼び止めたのだ。

 これが功を奏したかはわからない。でも、少しでも効果があればいいなと願いながら、杏は遠ざかる足音をいつまでも聞いていた。


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