秘夜に愛を刻んだエリート御曹司はママとベビーを手放さない
 小さくうなずき、ためらいもせずに車に乗り込む。
 運転席に座った彼はベルトを締め、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。フロントガラスに視線を向けたまま、彼は言う。
「おとなしそうに見えたけど、意外と肝がすわってるんだな」
 よく知らない相手の車に、清香があっさり乗ったことをさしているんだろうか。
(遊び慣れてると思われたかな? あぁ、でも今日はそのほうが好都合かも)

「あんなに真摯な眼差しで美術品を鑑賞する人が悪人とは思えないので」
 正直に答えると、彼はかすかに肩をすくめた。
「気持ちはわかる気もするが……芸術を愛する犯罪者もこの世には大勢いると思うから、気をつけてくれよ」
 彼の横顔を見つめて、静かに口を開く。
「でも、あなたは違う。そう思ったんです」
 彼は弱ったように眉尻をさげる。

「たとえ俺が凶悪犯でも……君には手出しできない気がする」
 そんなふうに考える人は、きっと凶悪犯にはならない。そう思ったけど、口には出さなかった。
 少しスピードをあげて、車は表参道の大通りを走り抜けていく。彼の隣だと、不思議と沈黙も心地よかった。よく考えてみれば、彼と無言のときを過ごすようになってからもう一年以上経つのだ。そう思っているのは、もちろん清香だけだろうが。

 彼はからかうような口調で言う。
「どこへ向かうつもりか、聞かないの?」
「あっ、そうですね。えっと、どちらへ?」
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