ぼくらは薔薇を愛でる
 部屋の外に連れ出されたジャンは、胸ぐらを掴まれたまま壁に押し付けられていた。もう婚約者の父親という事は頭の中から消え去っていて、年長者への礼を欠いてるなど考えもしていなかった。ただやりたかったことを直前で邪魔されたそれが腹立たしかった。

 今日はここへ来るつもりなど無かったが、ふと思い立ってやってきた。どうせいずれ自分のものになる屋敷だから遠慮はいらないと思い、先触れも出さず単身で訪問した。到着してすぐに、執事から屋敷へ入ることを拒まれた。
 それでも中へ入ろうとしたら、支度が終わるまで待って欲しいと言われた。だが婚約者なのだから支度など関係ない。二階にあるという婚約者殿の部屋を目指せば、複数の使用人が立ちはだかった。

 着替え中なら脱がす手間がなくて良いとイキリ立った。使用人達が立ちはだかり邪魔をする。仕方ないから強引に部屋へ入れば、良い身体の婚約者殿が待っていた。あんなに良い身体だったならもっと早く来ればよかった。気づいたら押し倒していた。俺は悪くない。彼女が良い身体してたから、彼女が悪い。婚約者との仲を邪魔する使用人達が悪い。ジャンは拗らせていた。

「離せ! 離せよ! 侯爵が殴るなんてしていいのかよ!」
「殴られるようなことをしたのは誰だ?! 制止を振り切って押し入ったのは誰だ、クラレットを泣かせたのは誰なんだ! 婚約者に会いに来るのは構わん、顔合わせの会の欠席も忙しいのだろう、それも構わん。だが、無理矢理押し倒すなど、ただのろくでなしだ! 婚約者なら強引に迫っていいのか!!」
 怒りのあまり、胸ぐらを掴んだまま壁に強く押しつける。

「あっあの赤いのは痣だろう、わかってるんだ、呪いの赤い痣! そんなものを持つ女を妻にだなんて寒気がする、気持ちが悪い!」
「――わかった……貴様との婚約は解消する。今すぐ屋敷を出ていけ! 二度と近づくな、顔も見せるな!」
 押し付けていた壁から廊下へジャンを放り投げた。

「ううううるさい!!! 僕は騙されていたんだ! あんな痣がある女だと知っていたら侯爵位がもらえるとしても結婚なんかごめんだ!」
 気持ち悪いと連呼しながら足速に屋敷を去るジャンを睨んだ。

 もし今、オーキッドが帯刀していたなら、あんな奴真っ二つにしてやりたかった。家格が下でも、痣を厭わないならそれが一番だと、クラレットを愛しんでくれるなら、と、彼らからの話に乗った。だが浅はか過ぎた。結局は、大事なクラレットを泣かせたのは自分なのではないか。オーキッドは自責し始めた。

「情けない……あんな奴を……!」
 旦那様、と静かに声をかけられた。唇の端に絆創膏をつけた執事だ。

「お嬢様はいま寝室においでです。パープルをおそばに、扉の前に2名の侍女を待機させております」
「そうか、わかった――。少し手紙を書く。書き終えたら男爵家へ行く」
「かしこまりました。男爵家へ先触れを出しておきます」
 執務室へ向かうオーキッドの(まなじり)に光るものを見た。先触れを従者に伝え、自身は厨房へ向かった。

 ――旦那様、大丈夫だろうか。思えばアザレ様が亡くなられた後もひと騒動あった。ご自身側の親戚と縁を切ってからは忘れ形見のクラレット様を慈しみ、大事にされてきた。それが、あんなゲス……!

 厨房には甘酸っぱい香りが漂っていた。パープルがお嬢様に、と作っていたものは、温めたオレンジジュースにハチミツと生姜を加えたものだ。
「それ少し余るか? 旦那様にもお出ししたい」
 そう言って半分分けてもらい、主人のもとへ向かった。

「旦那様、お出かけになる前にこちらをお飲みください」
 ことり、と机にカップを置けば、釣書と破談申し込みの旨が書かれた紙が目に入った。
「そろそろ馬車の用意をいたしますか」
「ああ、そうだな……お前のその傷は、痛むか」
「痛みはございません、ですが、結局お嬢様をお守り出来ず――」
「いいや、お前達はよく守ってくれた、本当に感謝している。お前以外で怪我を負った者は居ないか?」
「パープルが突き飛ばされただけで他の者は何ともございません、そのパープルも今は動けておりますからご安心ください」

*  *  *

 パープルが持ってきたホットオレンジを飲んでいると、窓下から馬車の音が聞こえた。父親が執事と共に乗り込んだ姿が見えた。

 ――お父様……

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