朝を探しています
10.追憶

〜波那〜

 波那と雅人は閑静な住宅街に隣り合って建つ家に住む隣人として知り合った。
 波那が5歳の時に斉木家が越してきて、歳の近い幼い子を持つ若い夫婦同士、家族ぐるみの付き合いが始まった。

 雅人の親は共働きで、波那の家は母が専業主婦だった。両親共に帰宅が遅くなる時、雅人はよく波那の家に預けられた。
 素直で礼儀正しい雅人を波那の母親はことのほか可愛がり、波那が小学生の間は本当の姉弟のように育てられた、と波那は記憶している。

 夏休みや冬休みには、2家族一緒にキャンプや旅行にも出かけた。波那の父はアウトドア派で、2人の子どもに川遊びや釣りなどを教えてくれた。料理の得意な波那の母親が作る野外料理は絶品で、キャンプで活躍する両親が波那の自慢だった。
 そして一方で、雅人の母親のことを波那は少し苦手にしていた。
 雅人の母親はいつもきれいに化粧をし、キャンプにもワンピースで参加するような人だった。雅人の父が波那の両親の手伝いに忙しくしていても、木陰でハイバックチェアで休んでいることが多かった。
「毎日遅くまで仕事をしているから、こんな時くらいゆっくりしたいの。」
 とキャンプに行くこと自体嫌がって、それなら準備は全て他のものがやるからと周りが宥めて連れてきていることが理由だった。

 仕事で忙しいのはお父さんもおじさんも一緒なのに。お母さんだって家でのんびりなんてしてないのに。

 波那はそう思っていたが、申し訳なさそうな雅人の父と泣きそうな雅人の前ではそんなことは言葉にできなかった。

 雅人は時々「波那ちゃんちはいいなぁ」とつぶやいた。
 最初のうちは自慢の両親を褒められているようで鼻高々だった波那も、次第にその言葉に何も返せなくなっていった。
 子どもながらに、雅人の母親があまり子どもに興味がない人だというのを感じ取っていたからかもしれない。
 そうして2歳年上だったこともあってか、雅人を守ってあげたいとの思いが少しずつ積もっていった。
 
 
 あの日、波那の父は普段通りに家を出ていった。波那が中学一年生の秋だった。
 いつも通りに母親が玄関まで父親を見送って。

「行ってきます。」

 それが父親の最後の言葉だった。

 波那が中学校から帰宅し、母親の作った夕飯を食べ、テレビを見て部屋に上がる時間になっても父親は帰って来なかった。
 仕事で遅くなることはあってもその連絡が来ないことなどなかったので、波那の母親が心配しだした、その時。

 玄関のインターホンが鳴った。
 立っていたのは雅人の父で、帰宅したばかりの格好で手に何かを握りしめていた。
 その後ろに無表情の雅人が立っていた。


 雅人はその日、早く帰ると連絡のあった母親を待って家にいた。
 確かに母親は早く帰ってきた。
 だが、クローゼットの奥から大きなスーツケースを出すとそのまま待たせていたタクシーに乗って家を出ていったという。
 テーブルに封筒を置き、雅人の頭を一撫でして。


 雅人の父親が持っていたのはその封筒の中身だった。
 中身は、記入済みの離婚届と短い手紙だった。
波澄(はすみ)さんと行きます。探さないでね。』
 

 その手紙を見て、思わず波那は母親を振り返った。振り返って…後悔した。

 怒り、憎しみ、妬み、絶望…未だにあの表情を的確に表す言葉を知らない。
 母親のそんな顔を見たことなどなかった。


 波澄とは、父の名前だった。
 


 
< 41 / 44 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop