きんいろ

    ☆

 何度もその人を見かけた。
 放課後、私が藤棚のベンチでスケッチをしていると、その人はときどき丘の小道を上っていった。ベンチに座って見下ろす道を通ってU字カーブの木立に隠れ、すぐに私の背中側の道に現れる。足音でそうとわかるけれど、私はその人をふり向けない。女バレのランニングを眺めるようには。
 小道を上っていくその人は、ひとりのときもあったし、ふたりのときもあった。五、六人のグループでいるときもあった。ひとりのときはその人の手に、そうじゃないときは誰かの手に、いつも、バスケットボールがあった。
 その人が行く先に何があるか、たぶん私は知っている。ヒントはバスケットボール。入学してすぐ、友達と丘を探検したとき、不意に坂道が途切れた場所で私たちは『それ』を見つけた。
「こんなところに、コート、あるんだ」
 バスケット部の友達が感動したように上げた声を、覚えている。私たちの目の前に現れたのは──草むらと錆びた金網のフェンスに囲まれたバスケットコート。
 誰もいないその空間は、がらんと日差しを浴びていた。ゴールのバックボードは木製で角が丸みを帯び、地面に敷かれたラインテープは破損している箇所があった。木陰に置かれたベンチの青も色あせていた。
 忘れられてしまったような古いバスケットコートだったけれど、ボールを持って丘を上っていくその人が辿り着く場所は、きっと、そこ。
 六月になってから放課後に丘の坂道を上ってくるようになったのは、インターハイが終わって部活を引退したから……かな? バスケ部、だったのかな?
 ……気がつくと、いろんな場所で、私はその人を見つけるようになっていた。
 夕日の差す図書館で、書架から本を取り出していた。休み時間、教科書やノートを脇に抱えて、廊下を移動していた。友達に、しの、と呼ばれてふり向いていた。
 藤棚の下で最初に会ったときも『しの』と呼ばれていたことを思い出して、私は考える──名字かな。名前かな。名字なら……篠田とか篠原とか。名前なら……?
 私は離れた場所からその人を見つめ、その人にも、他の誰にも気づかれないうちに視線を外した。そうして、何となく誰かに優しくしたくなった。

 こんな気持ちは、私、知らない。
 知らない気持ちに戸惑いながら、十六歳の夏がはじまる──。



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