初恋ディストリクト
第三章 元に戻るとき


 猫を見つけて興奮した私たちは、まっしぐらに走り出した。

 こんなに勢いつけて走って近づいたら、猫はびっくりしてしまうのではないだろうかと思ったとき、私は澤田君を追い越していた。

 澤田君の走り方は右足を庇うようにしてガタガタとバランスが悪い。

 そういえば、ずっとひょっこひょこしてたような気がする。

 気をとられて走っていたら、バンと思いっきり壁にぶつかってしまった。

 見えない壁の存在をすっかり忘れていた。

「ああ、痛い」

 トムとジェリーの追いかけっこの果てのトムになったように、体が平らになってつるっと壁に沿って流れていくような気分だった。

「栗原さん、大丈夫?」
「大丈夫じゃない。鼻を強く打った」

 その見えない壁の向こうで猫が気にもかけずに毛づくろいをしていた。

 涙目でそれを見ていたせいで、やっぱり猫の色がはっきり判別できない。

「でもさ、壁はここまで広がっていたんだね。後もう少し広がってたら、猫に届きそうな気がする。あの猫、こっちに来ないかな」

 澤田君は空間が広がるスイッチを探すみたいに、ペタペタと辺りを触れた。

 時々コンコンと強く音を立てて猫の気を引こうとするけど、猫は気がつかないのか、私たちの方を振り向きもしなかった。

 その内毛づくろいが終わると、猫は立ち上がってきままに歩く。

「猫! ネッコ! ヌコォォォ!」

 私は壁を叩きながら必死に声を張り上げたが、素知らぬ顔で去っていく。

 やがて店の前に置かれていたごちゃごちゃした立て看板にまぎれて消えていった。

 その後、また姿を見せるのかじっと看板を睨んでたけど、猫はその裏に居るのか、それとも消えたのか分からなかった。

 見えない壁に張り付いていたとき、商店街の出入り口が随分近づいていることに気がついた。

 先は大通りが横切って車が行き来しているはずだ。

 だけどまるで暗いトンネルから外の明るさが眩く白く光っているように見えるだけで、外の様子がわからない。

 でもあそこまで行けば何かが分かりそうな気がして、先が見えないのがもどかしい。

 この空間が端から端まで全部繋がれば猫も捕まえられるんじゃないだろうか。

「この調子で行けば、いつか商店街の出口まで空間が広がるんだろうか。そこまで広がれば、猫はこっち側の空間にも入ってくるのかな」

 私は遠い目で出入り口を見ながら呟いた。
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