指輪を外したら、さようなら。

 背筋が寒くなった。

 人間の業とは、恐ろしい。

「美幸は納得したんですか? その、感情はどうであれ、不倫という関係に」

「意地もあったようです。忍への復讐心も」

「なるほど」

「それでも、娘は可愛かった。だから、美幸と距離を置いた時期もありました。けれど、美幸は俺を待ってくれていた。結局、忍が二度目の妊娠をしたのをきっかけに、俺は美幸の元に戻ったんです」

「妊娠した奥さんを置いて?」

「俺の子じゃ、なかったんです」

 マジで、ドラマ化したら世の奥様方が食いつきそうなストーリー。

 もう、かける言葉もない。

「けど、結局家に帰りました。不倫関係で責めを負うのは美幸だし、きちんと離婚を成立させなければ彼女を幸せに出来ない、と。思えば、あの頃から美幸は不安定になっていきました。俺との不倫関係と、両親からの結婚に対するプレッシャー、それが仕事にも影響するようになって、本当にまいっていたんだと思います。その頃に、あなたと知り合った」



 タイミングよく現れた当て馬に跨った、と。



「俺は美幸に別れを告げました。結婚して幸せになってもらいたい、と。美幸も受け入れ、あなたと結婚した。ですが、すぐに、結婚に愛情はなく、利害の一致によるものだと聞かされた。結婚で両親を喜ばせることが出来たし、肩の荷が下りて仕事も順調だから、関係を続けたいと言われた」

 一気に話し続けた東山が、喉を鳴らしてハイボールを吸収していく。

 結局、東山は忍に騙され、美幸にも騙されていた。

 哀れ、としか言いようがない。

「美幸と話し合ってみます」

 ハイボールを飲み干して、東山は言った。

 指をネクタイの結び目に突っ込み、グイッと引っ張る。ネクタイを解き、ジャケットのポケットに仕舞うと、ワイシャツのボタンを上から二つ、開けた。

「もう、いい加減どうにかしなきゃとは思ってたんです。理由をつけて逃げていたけれど、こんな状態をいつまでも続けていていいわけがない」

 妻の愛人にかける言葉ではないが、この男はいい人間なんだと思う。

 ただ、弱い。

 だから、忍に騙されても流されてしまい、美幸に復縁を迫られて流された。

 彼を責める気には、なれなかった。

「できれば、俺と美幸の話し合いだけで済めばと思っています。まだ、別居の事実を家族にも伝えていませんし。なので、どうしても、と言う時にはお願いします」

 俺は、東山に頭を下げた。

「やめてください。責められても殴られても文句は言えないのに、頭を下げるなんて――」

「結婚したい女がいるんです。その為に、離婚を急いでいる。あなたを責められる男じゃないんです」

「……そうですか」

「みんなが幸せになれるとは思っていません。ですが、俺と美幸の離婚が成立したら、あなたと美幸が幸せになれる可能性が、ゼロではなくなるんじゃないですか?」

「……そう……ですね」

「俺は、千尋(彼女)との幸せを諦められない――」

 妻の愛人に自分の幸せを語り、俺は晴れ晴れとした気持ちで家路についた。

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