楽園 ~きみのいる場所~
プロローグ



「あの……」

 前と横に人ひとり分の距離を開けて歩く彼の背中を見つめて、声を絞り出す。

「ん?」と、背中が立ち止まる。

 彼が立ち止まったのと、私がそれに反応して立ち止まるのとではわずかに時間差が生じ、ひとり分の距離が、半人分に縮まった。

「ごめんなさい。なんか――」

 彼の顔を、正面からちゃんと見るのは初めて。視線が交わるのも。



 モテるの、わかるな。



『すっごいイケメン、てわけじゃないんだけど、なんかいいんだよねぇ』

 クラスの女子がそんな風に言っているのを何度も聞いた。

 クラスに限らず、学年の半分以上の女子はそう思っているだろう。

 本気で彼を好きな人も、友達として好きな人も、憧れの眼差しを向ける人もいる。要は、みんなに好かれる人気者。

 いわゆる『すっごいイケメン』も校内に数人いるが、少し近寄りがたかったり、来るもの拒まずの女好きだったりして、観賞用にされがち。

 顔ももちろん好かれる要素ではあるけれど、彼の場合はそれ以上に人柄や雰囲気で好かれているのだと思う。



 偉そうに言えるほど、よく知らないんだけど……。



「なんか、巻き添えにしてしまって」

「巻き添え?」

 彼はクスッ、と笑った。

「全然?」

「けど、面倒でしょう? 立候補した私の隣の席だったってだけで――」

「――そんなの、早坂(はやさか)のせいじゃないじゃん」



 名前、呼ばれたの初めてかも……。



「そう……なんだけど」

「遊んでばっかいないで、早坂みたいに人の役に立てって、神様の思し召しかもな。それに、受験の年に委員やってたら、内申点上がるかな」

「かな……?」

「あ! ワリ。別に早坂が内申点狙いで委員やってるとか、思ってないから」と、彼が半人分の距離を更に縮めた。

 私は思わず、半人分後退った。

「去年もやってたろ? クラス委員。誰もやりたがらないのに、偉いなって思ってたんだよ」

「私は……嫌じゃないから」

「そうなの? 面倒じゃない?」

「うん。なんか……。うん。面倒ではないかな」

『誰かの役に立てるのなら』なんて言うと、優等生ぶってると思われそうで、言わなかった。

「部活もしてないし、予備校にも行ってないから」

「そうなんだ? 予備校行ってないのそんなにテストの順位がいいって、どんだけ頑張ってんだよ。すげーな」

「え……?」

 予備校に行っていないと言うと、大抵の人には『勉強しなくてもデキる奴っているよな』とか『予備校じゃなくてカテキョ?』とか言われる。

 一人で頑張っている、と思ってくれる人はそういない。

 だから、嬉しかった。

 素直に、嬉しかったの。

 好きにならないわけがなかった。

 隣の席で、器用な手つきでシャープをクルクル回しているのを眺めていたら、目が合って笑われた。それでも、ずーっと眺めていた。

 回るシャープを見ている振りをして、彼の細くて長い指を見ていた。

 ずーっと見ていた。

 あんまり見ているから、彼がこっそりシャープの回し方を教えてくれたけど、やっぱりできなくて、彼に「すっごい器用そうなのにな」と笑われてしまった。
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