楽園 ~きみのいる場所~
確かに、今朝起きたら右手首が痛かった。
杖での移動にろくに慣れていない状態で、無理をしたかもしれない。
「ありがとうございます」
結局、杖を突くことなく、俺は彼女に脇を抱えられたままダイニングテーブルまで移動した。
俺を椅子に座らせ、彼女は台所でコーヒーを淹れ、戻って来た。
「ブラックでいいですか?」
「はい。ありがとうございます」
俺は指が曲げられる左手でカップを持ち、手首が曲がる右手で底を押さえた。
大きくふぅっと湯気を吹くと、一口飲む。
「萌花からは、どう聞きました?」
「事故で手足に麻痺があって、リハビリ次第では動くようになるかもしれない、と」
なんてざっくりな説明だ。
俺はゆっくりとカップを置き、テーブルの上両手を広げて見せた。
「左手の指は動かせます」と言って、左手を握ったり開いたりして見せる。
「けど、手首は動かせません」
手首に力を入れるが、血管が青く浮き上がるだけ。
お義姉さんはじっと俺の手を見つめている。
「右手は、手首は動かせますが、人差し指と中指以外は曲げられません」と言って、右手首をクイッと曲げて見せる。
「なんでこんな訳の分からない麻痺が残ったのかはわからないそうです。ただ、神経が傷ついているようでもないので、リハビリ次第で動かせるようになるかもしれない、と言われました」
「あの」と言って、お義姉さんがカップを置いた。
彼女は客用の真っ白いマグカップを使っていた。
「事故って……どういう……?」
「うちの会社が取引をやめたせいで倒産した会社の社長が、俺目掛けて車で突っ込んで来たんです。その瞬間のことはよく覚えていないんですが、どうやら咄嗟に両手を前に出してしまったらしくて」
「そう、なんですか」
「本当は、会長か社長を狙っていたらしいんですが、二人は地下駐車場から社用車で移動しますから、難しかったようです。そこに、会長の三男で広報部長としてマスコミにもよく顔を出している俺が正面玄関からのこのこ出てきて、とにかく経営者一族の誰かならいいだろうって思ったようです」
「そんな……」
お義姉さんは唇を震わせ、それからキュッと結んだ。眉根を寄せ、今にも泣きそうだ。
萌花は、こんな顔してくれなかったな。
俺はもう一度カップを持ち、飲みやすい温度になったコーヒーを二口、飲んだ。
「正直、会長の息子ってだけで入社して、大した苦労もせずに部長なんて役職を与えられて、うんざりしてたんです。だから、俺的には会社から離れて、好きなだけ本を読める生活が出来て、ちょっとラッキーって言うか――」
「――そんなこと、あるわけないです!」
急に大声で言われて、驚いた。
「明堂さんは何も悪くないのに、いきなり身体の自由を奪われて、仕事だって――好きじゃなかったとしてもこんな風に出来なくなっちゃって……ラッキーだなんて、そんなわけない!」
「お義姉さん……」
目覚めた俺に「驚かせないでよ」と言っただけだった。
愛し合って結婚したわけじゃないから、当然か。
「犯人は……?」
お義姉さんは震える声で聞いた。
「拘置所で自殺を図ったそうで、今は独房? で裁判を待っているそうです」
「そうですか……」