楽園 ~きみのいる場所~
「近江……楽さん?」
恐らく初対面であろう、私より少し年上の女性は、お店のドアが閉まりきらないうちに私の名を呼んだ。
「いらっしゃいませー」と、昌臣くんがいつも通り元気いっぱいに挨拶をする。
私は、昌臣くんが大学に行っている間の、平日のランチタイムに働いていた。
お客様をご案内して、簡単なものであれば調理もする。
今日は、珍しく授業がない昌臣くんもお店を手伝っていた。
午後三時でランチタイムも終わり、店内には遅い昼食を取りに来ていたおじいさんだけだった。
「お好きな席にどー……ぞ?」
昌臣くんには見向きもせずに私を見つめる女性と、その女性と面識があったろうかと考えている私。
「楽さんの知り合い?」
「いえ。初めまして、です」と、女性は大きなお腹を擦りながら笑った。
女性は妊娠していた。
ようやく、エプロンをしていても妊娠しているとわかってもらえるようになってきた私とは大違いの、今にも破裂しそうな大きなお腹を抱えて、女性の背は仰け反り気味だ。
「双子かい?」と、おじいさんが聞いた。
「え? ええ、はい」と、女性は答えた。
さすが、ベテラン産婦人科医。
立っているのはつらいだろうとおじいさんに言われて、彼女は窓際の硬めのソファに腰かけた。
「私、明堂みちると申します」
『明堂』の名に、心臓が跳ねる。
同時に、二日前から感じ始めた胎動も感じた。
私の動揺がお腹の赤ちゃんに伝わってしまったのだろうか。
「明堂央の妻です」
「央さん……の?」
いつか彼が言っていた、会社も家も捨てて結婚したい女性、だろうか。
「央は会社を離れられないので、代わりに私が参りました」
ドクン、と心臓が鈍い音をたてて軋む。
思わず、両手でお腹を抱く。
「悠久に……なに……か?」
みちるさんがひゅっと短く息を吸い、飲み込む。
今度はさっきより少しゆっくりと息を吸う。
「悠久さんは今、千歳の病院にいます」
「え――?」
みちるさんが眉をひそめる。
視線を落とした仕草に、よくない状況なのが確信できた。
「楽さんを……待っています」
「どうして! ――病院に……。ここに来るって……約束したのに――!」
「ここに来る途中で……。飛行機の中で意識を失って、千歳の病院に運ばれたんです。急性硬膜下血腫でした。手術の必要はなかったんですけど、三日経っても意識が戻らなくて……。医師が言うには――――」
激しい目眩に襲われて、私はガクンと膝から崩れた。
咄嗟に昌幸さんに抱えられた私の耳には、みちるさんの声は届いて来なかった。