楽園 ~きみのいる場所~

 天涯孤独の男が戦争に赴き、仲間を失って帰国する。自身も片腕を失い、死んだ仲間の姉の世話になることになる。男は献身的な女性を愛するようになるが、弟を守れなかった自分を恨んではいないのだろうかと怖くて告げられない。そうしているうちに、女性が病気になってしまう。女性は迷惑をかけられないと男の元を去ろうとするが、男は彼女を引き留め、今度は自分が面倒を見る。最後には想いが通じ合い、彼女がなくなるまでの数年間を夫婦として過ごすのだが、要するに、誰しも愛される資格があって、『無償の愛』ほど崇高なものはない、といった趣旨。

 戦争ものだと思って読み始めたら、後半はとにかくじれったい恋愛もので、普段は恋愛ものを読まない俺だが、結末が気になって一気読みしてしまった。

 作中で、女性が言う。「片腕でも私を抱き締められるでしょう? 足りなければ私が両手で抱き締めてあげる。だから、その片腕に、その命に感謝しましょう」と。

 その言葉に、感動した。

 そこまで愛されている男が、羨ましかった。

 事故に遭う前の俺ならば、「いかにも女が好きそうな綺麗ごとだな」なんて鼻で笑っただろう。

 けれど、今は、楽の俺への感謝が愛に変わったりしないかな、なんて思ったりする。

「ずっと、いてよ」

「え?」

 手の中の彼女の温もりを握り返す。

「ずっと、一緒にいてよ」

「……」

 返事に困って、彼女は唇を結んだまま。それでも、俺から視線を逸らすことはない。

「楽との生活、楽しいんだ」

 彼女が逃げてしまわないように、力を込めて彼女の手を握る。

「あの家で、きみと、ずっと一緒に暮らしたい」

 たった二週間一緒に暮らしただけなのに、あの家には楽の気配が染みついていて、その気配を感じるだけで安心できる。介護なんて名目でも彼女に触れられると、反応しないはずの俺の男の証が疼く気がする。

 こんな感情に名前を付けるなら、それは一つしかない。

「きみが好きだ」

 困らせるとわかっているのに、なぜか言わずにはいられなかった。

 知っていて欲しかった。

 案の定、楽は困った表情のままフリーズしている。

 握り締めた彼女の手を撫で、それから指を彼女の指の間に交差させる。嬉しさとか緊張とかで汗ばんでいる気もしたが、離さなかった。離したくなかった。

 そのうち、彼女の瞳に薄っすらと涙の幕が張った。

「……迷惑?」

「……」

「大丈夫だよ。不倫しようなんて言ってるわけじゃない。ただ、きみが好きだから、出来ればずっと俺の世話を続けて欲しい、ってことだから」

 正直な気持ちだ。

 事実、不倫なんて出来る身体ではない。どんなに願っても。

 気づけば、車を叩く雨音が弱まっていた。

「私も……ずっとあの家にいたいです」

 本人同様、俺の指の間で困惑気味に広げられていた彼女の指が、俺の手を握り返す。

「私も、あの家で、悠久さんと、ずっと一緒に暮らしたいです」

 彼女の瞳から涙が零れた。

 目尻を伝い、シートに一滴だけ落ちる。

 右手が自由なら拭えるのに、と思った。

 手を握っただけ。

 セックスどころか、ハグもキスもない。

 なのに、とても幸せな気持ちになった。

 俗に言う『不貞行為』とは伴侶以外の人間との性交渉をいう。



 伴侶以外の人間を、伴侶以上に愛してしまうことは……?



 考えても仕方がない。

「うん。ずっと、一緒にいよう」

 手を握ることが不貞と呼べないことは、確かなのだから。
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