三羽雀
 震える少女の手からハンカチを取った幸枝は、それを涙の伝う頬に優しく当てた。
 「すみません……何でもないんです。本当に、本当にないんです。ただ……」
 幸枝は口籠った少女の話を遮るように、この頃よく他人にする、当たり障りのない常套句を出す。
 「こんな時勢だもの。辛いことの一つや二つ、有って当然だわ。それを無理に封じ込めて生きる必要なんて無いわよ」
 手の甲で涙を拭った少女は、
 「あの……前にお会いしたことがありますか」
 と清廉な声で幸枝に訪ねた。
 「え、いえ……いいえ、初めてよ」
 突然の問いかけにやや動揺した幸枝であったがハンカチを畳んで少女に手渡した。
 「私は伊坂幸枝……とある会社で働いているわ。貴女は?」
 「松原春子です。女子大学校で家政を学んでいます」
 涙も乾いた少女の顔は、物静かで大人びた形ではあるが表情はまだ子供染みて見える。
 (春子、家政……何処かで聴いたわね。松原という苗字も……)
 微かに聞き覚えのある単語に懐疑の念を抱いた幸枝だが、それを隠すように溌剌とした笑みを見せた。
 「春子ちゃんというのね!よろしかったら、今から一緒にお茶でもしない?こうして出会ったのも何かの縁よ」
 本心ではこの少女に探りを入れるために誘ったが、相手はその心を知る由も無く満面の笑みで頷く。幸枝は春子を連れて叔父の喫茶店へ向かった。
 「まあ……こんなところに純喫茶が!」
 「隠れた名店なのよ。さあ、入りましょ」
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