三羽雀
 父は幼い日の娘の話は頻繁にするが、若くして亡くした妻の話はしない。そして父は再婚することなく、親戚や病院の看護婦の手を借りながらも男手ひとつで一人娘を育ててきた。
 今でこそ(しわが)れた年寄りに相違無(そういな)いが、未だに仕事の時だけは生き生きとしている。それが家に帰ってきた途端、枯草(こそう)のごとくすっかり干上がり、入浴して食事を摂ると早々に眠る。
 そんな父を前にして、娘は心配を抱えている。
 父より幸福(しあわせ)になって良いのだろうか。
 婚約者は何かの間違いで死にはしないだろうか。
 戦争が始まってから、この不安が頭の中を常に駆け巡っている。
 表向きは気丈に生きているように見せかけているが、父と向き合って座れば父の発する言葉の端々に不幸が現れはしないか、その目の端に涙が浮かびはしないか、常に顔色を窺っている。
 家の仕事を終えて寝床に就くとき、毎晩のように最も純粋だったときの日記を読み返したり、戦地より届いた婚約者からの知らせを読みながら彼の無事を祈っていたりする。
 やはり他人(ひと)は志津を可哀想な人だと思っているのだが、彼女に言わせてみれば、
「私は十分幸福(しあわせ)です。今日まで元気に生きてきて、充分な広さのお(うち)があって、食糧にも大きく困ることは無く、職業も得て、更には素敵な婚約者まであるんですもの。だから、私は実は幸福者(しあわせもの)なのですよ」
ということなのである。
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