三羽雀
 新たな年を迎えようとしている今この瞬間でさえ罪悪感に(さいな)まれているのだ、これから一生付き合っていかねばならないのかもしれない。
 今でこそ康弘は遥か遠くの南方に居るが、彼が自らの目の前に立つ日が来たら、いよいよ自分の心がもたない。そう思ってしまうのである。
 丁度七年ほど前に、一度だけ康弘の働く姿を見たことがある。
 医学界で天才だと持て(はや)された若き医師は、開業したばかりの病院で業務をこなしていた。
 彼の兄と共同で始めたその病院では兄が内科を、弟が小児科を担当していて、診療所以上病院以下といった中(くらい)のところである。
 二つに分かれた診察室を兄弟で分け合って使っている。
 このときは既に婚約をしてから二年は経っていて、康弘は自らの病院を見てほしいと言って彼女を呼んだのであった。彼女はある平日の仕事終わりに康弘の元を訪ねた。
 敷地の中に入ると赤い花を付けた椿の木の並ぶ庭があり、その奥には小児科の診察室がある。窓越しに、笑顔で子どもの胸に聴診器を当てる彼の白衣姿が見えた。
 病院に入ると、
 「あら、志津さん!応接間でお待ちください、副院長は丁度今日最後の患者さんを診ているところなので、終わり次第こちらへ案内します」
 と受付係が応接間のほうと見える方角に手を差し出す。
 「はあ、有難うございます」
 丸い机には白いレースのクロスが()かれ、壁掛け時計の時を刻む音が響いている。
 椅子に腰掛けた志津は、柔らかな斜陽に照らされながら、窓の外の景色を眺める。そのうち、康弘とお茶出しの事務員がやってきて、部屋には許嫁と湯気のゆらめく緑茶だけになった。
< 280 / 321 >

この作品をシェア

pagetop