*結ばれない手* ―夏―
「あの……杏奈さんも桜家の人なんですか?」

 ティーカップをソーサーに戻す手が止まった。

「あー……そうね、そう見える?」

「いえ……まだ良く分かりません」

「今は桜家の人間ってことにしておいてもらいましょうか。さて、そろそろ戻らないと夜になっちゃうわね。送るわ」

 おもむろに立ち上がり再びキビキビと歩き出す杏奈に、モモも相変わらずおどおどとついてゆく。

 建物を出てすぐモモは車窓から後ろを振り返った。

 何十階のビルなのかも分からないほどの高層ビル、そしてきっとここだけに限らず、全国各地に事業所を持つ筈だ。

 ──先輩がサーカスを辞めて、ここに戻ってくることなんてあるんだろうか……。

 演舞の最中の真剣な表情も、モモの腕の位置・足の運びがほんの少しでさえ狂った時に飛んでくる説教の怖い顔も、空中ブランコが大好きだからこそだとモモは思っている。

 そんな凪徒が──?

 夏らしい入道雲の向こう側で傾き始めた陽は、まだ(かげ)りを見せてはいなかったが、高速の渋滞も手伝って、サーカスへ戻る頃にはおそらく夕闇が落ちているだろう。

 それまでに落ち着きを取り戻せるのだろうか──モモは心の安息を得るための手段を、ゆっくりと通り過ぎる景色の中から探し出そうと瞳を向けた。


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