アオハルリセット

 帰りのホームルームが終わると、伊原くんからメッセージが届いた。掃除当番なので、それが終わったら教室で待ち合わせをしようとのことだ。

 私は了解とスタンプを返す。そわそわとしながら、トイレの鏡の前で身嗜みを整えて、人が疎らになってきた教室へ戻る。

 席に座ってしばらく待っていると、教室には生徒が私だけになった。
放課後の教室って、ちょっと特別な気分だ。蛍光灯を消してみると、日差しが教室に降り注いでいて、じゅうぶんすぎるくらい明るい。

 伊原くんがきたら、どうやって話を切り出そう。今度こそ、私の想いを口にして伝えることになる。

 何度も深呼吸や喉の調子を整えていると口の中の乾きを感じて、鞄からペットボトルのお茶を取り出した。水分補給をして、一息つく。

 蓋を閉めようと回しても、手の動きが鈍くてスムーズに閉まらない。嫌でも緊張していることを自覚してしまう。

 落ち着かないと。せっかく伊原くんとふたりで話せるチャンスなんだから。
 遠くから足音が聞こえてきて耳を澄ませる。走っているような速度で、こちらに近づいてくる。


「ごめん! お待たせ!」

 滑り込むように教室に入ってきたのは予想通り伊原くんだった。
 髪の毛がくしゃくしゃになっていて、わずかに息が上がっている。掃除が終わって急いで来てくれたみたいだ。


「はぁー……図書室の掃除厳しすぎんだよなぁ」

 私の隣の席に座ると、ぐったりと机に項垂れた。そういえば図書室の掃除はやることも多くて、厳しいと言っていたのを聞いたことがある。

「そんな大変なんだ。私、まだ当番回ってきていないから怖いなぁ」

 伊原くんは口元をニヤリとさせると、「キビキビしなさいっ!」と先生の真似をしながら、ほうきの掃き方だとか、椅子の整頓など指摘されるポイントについて教えてくれた。

 他愛のない会話をしていると、緊張の糸が解けていく。けれど、不意に会話が途切れて、視線が交わる。


「清水さん」

 空気が変化して、真剣な面持ちの伊原くんが姿勢を正した。


「は、はい」

 伊原くんは言葉を探すように視線を巡らせながら、ゆっくりと口を動かす。


「前に清水さんのことはすぐ見つけられるって話したけど、多分それ……無意識に探してたからだ思う」

 目立たなくて、人前で話すのが苦手なあがり症。私はその他大勢の中に埋もれた生徒だと思っていた。けれど伊原くんはわたしを見つけ出してくれる。

 伊原くんの一言のおかげで、私は自分の存在を認めてもらえたような気がした。


「私も……伊原くんだからすぐ見つけられるよ」

 教室以外の場所でも、伊原くんの姿はすぐにわかる。そして自然と目で追ってしまう。


「……それ、いい意味で受け取っていい?」

 じわじわと頬の熱が高くなっていくのを感じながら、何度も頷く。
 私のどこがいいのかとか、不安はたくさんある。けれど、伊原くんが私と同じ気持ちでいてくれることが夢みたいで、身体がふわふわとしている感覚になる。

「清水さん」

 優しい声音に伊原くんの想いがのせられているようで、胸がぎゅっと締め付けられた。
 鼻の奥がツンとして、目元に力を入れる。

 ……人を好きだと感じて、涙が出そうになることがあるのだと初めて知った。


「俺、清水さんのことが好き」

 光ることなく、伊原くんの言葉が真っ直ぐに私に届く。
 感情が視線から伝わり、溢れ出てきそう。


「私も……っ、す……好き、です」

 ぎこちなくて聞き取りづらい告白になってしまった。もっと上手く言えたらいいのに。私の心の中にある感情を、言葉にしきれなくて歯痒い。
 せめてこれだけでもと、深く息を吸い込んで空気に言葉をのせる。


「付き合ってください」

 重なった声に私と伊原くんは目を丸くして、ふっと笑い合う。
 そして目頭から溜まった涙の粒が流れ落ちた。

「ご、ごめ……っ」

 嬉しいのに泣いてしまって、手の甲で涙を拭おうとするとティッシュを差し出された。

「これ使って」
「ありがとう」

 受け取ったティッシュで涙を拭いて、ちらりと視線を向けると目があってしまう。

 逸らすつもりがないのか、にこにことしながら見つめられ続けて、落ち着かなくなってくる。

「伊原くん……見すぎ」
「だって、かわいいなーって思って」

 ごくりと息をのむ。あまりにもさらりと言うので、返す言葉が見つからない。


「あ、待って! 今軽いとか思った?」
「え?」
「本気で思ってるし、軽い気持ちで付き合ったりもしてないから!」

 必死に説明されて、先ほどまでの照れがどこかへ吹き飛んで笑ってしまう。

「思ってないから、大丈夫だよ?」
「はぁー……よかった。俺、軽そうとかよく言われるから清水さんに誤解されたら嫌だなって」

 ストレートに褒められることには慣れていないけれど、伊原くんが真剣に思ってくれているのは伝わってくる。私の目からは、伊原くんに嘘が見えない。

「そろそろ帰ろっか」

 伊原くんは教室の壁にかかった時計を見ると、立ち上がる。陽がだんだんと傾き始めて、先ほどよりも薄暗くなってきていた。

 伊原くんが出入り口の前で待ってくれている。
 彼氏になったんだなと、急に実感してくすぐったい気持ちになった。


「行こ」
「う、うん」

 想いを伝えることで精一杯だったけれど、この先をあまり考えていなかった。好きになって、相手も自分を好きになってくれる。そんな日がくるなんて予想もしていなかったのだ。

 付き合って、そのあとは? どんな会話をしたらいい? こうして一緒に帰ることも増えるのだろうか。

 教室を出て並んで歩いていると、伊原くんが足を止めた。振り返ると、伊原くんは手のひらを私に見せてくる。


「少しの間だけ……繋いでいい?」

 大きなひらに釘付けになる。

「だめ?」
「だ、だめじゃ……ない、です」

 そっと手を伸ばしていく。
 心臓が飛び出そうなほど、どくどくと動き、指先が震える。
 なかなか手を重ねることができない。けれど伊原くんはなにも言わずに待ってくれている。

 ちょんっと伊原くんの手のひらに人差し指が触れると、包み込むように握りしめられた。


「……っ」

 熱が伝わる。私のものではない体温を感じながら、手に汗が滲む。恥ずかしくて咄嗟に離したくなるけれど、彼の顔を見たらそれができなかった。

 ほんのりと頬が赤い伊原くんが目尻を下げて、嬉しそうに笑っている。


「緊張する?」
「……ものすごく」

 伊原くんを前にすると手を握ることすら、すぐにできない。

「清水さんのペースで、ゆっくりでいいよ。無理なときは言って」

 思えば伊原くんはいつもそうだった。
 話すのがまだ慣れていないときに私が言葉に詰まっても声を被せたりせず、待ってくれていた。コラボカフェへ向かうときの歩く速度も、私に合わせてくれていたのだ。

「……ありがとう」

 繋いだ手をぎゅっと握ってみる。すると応えるように握り返してくれた。
 緊張は完全には消えていないけれど、この幸せな時間が長く続きますようにと私は心の中で願わずにはいられなかった。




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