精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第139話 ルドルフの足止め

 そのとき、

「いやぁー、さっきはほんっっっと危なかった」

という、場違いともいえる明るい声が耳に入ってきた。

 レフリアさんだ。
 ついさっき、叩き潰されようとされていた人物とは思えないほどの笑顔を浮かべながら、こちらにやって来た。

 ノーチェ殿下がレフリアさんに駆け寄られた。

「レフリアっ‼ 無事で本当に良かった。そして、自分の見通の甘さで危険に晒すことになり、すまなかった」
「何言ってるんっすか、殿下。この場にいる皆が、等しく危険なんっすよ? 一々そんなことを気に掛けてちゃ、身がもたないっすよ」
「レフリア、なんだ、その言い方はっ‼ 殿下も私も、どれだけ心配してっ‼」

 二人の会話を聞いていたフリージアさんが、横からレフリアさんの首元を掴みあげた。だけどレフリアさんは変わらず笑顔のまま、フリージアさんの手を振り払う。

「俺は幸運にも死ななかった。それでこの話はおしまい。良かった良かった、ははっ!」
「お、お前っ……」

 再びレフリアさんの首元に掴み掛かろうとしたフリージアさんの手を、ノーチェ殿下が制する。

「……フリージア、もういい。レフリアのお陰で、大きな収穫があった。ありがとう」
「それなら、死にそうになったかいもあったってもんっす」

 レフリアさんは敬礼をしすると、パチッと片目を閉じた。そして私の方を向くと、こちらにやってきて片膝をつき、深く頭を下げた。

「俺たちを救ってくださったの、エヴァ様ですよね? 本当に、ありがとうございましたっ‼」
「い、いえ……私も咄嗟で……」
「いやぁー、ほんと凄いっすよね! エヴァ様のお力っ‼ アレを一瞬にして消し去ってしまうのですから! もう一生推しますっ‼」
「お、おす……?」

 ど、どういうことかしら……?

 ぐいぐいくるレフリアさんの態度に戸惑ってしまう。

 だけどすぐさま、彼が明るく振る舞っている理由に気付く。

 頭を下げたときに見えた首筋に、びっしり汗をかいていた。もちろん首の周りの服も、色が変わるほど濡れている。なのに、見えている肌は体調の不調を心配してしまうほど青白い。

 上げた顔を良く見ると、目も充血して赤くなっていて、目尻に涙が乾いた跡が残っている。

 彼があの一瞬でどれほどの恐怖を抱いたのかが、言葉もなくても伝わってきた。だけどそれを表に出さず、ただでさえ緊迫する中、皆に心配かけまいと明るく振る舞っているんだわ。
 
 ノーチェ殿下も、きっとそれに気づいて……

 レフリアさんの強さに、喉の奥が詰まる。

「……本当に、ご無事で良かった」

 今の私は、心の底からそう伝えることしかできなかった。

 レフリアさんに、私の気持ちが伝わったのかもしれない。不自然なほどの笑顔が一瞬、心からの安堵と感謝に変わったから。

 そのとき、ウィジェル卿がやってきて、ノーチェ殿下に被害の報告をされた。

 こうしている間にも、精霊の塊はこちらに向かって来ている。

 痺れを切らしたのか、アランが殿下とウィジェル卿の間に割って入った。

「兄さん! とにかく今は、精霊の塊の動きを何とかして止めよう! 実体があるなら、拘束系の魔法や、物理的に壁を作るという方法だって使えるはずだ!」
 
 殿下は厳しい表情を、精霊の塊に向けられた。下唇を噛み、何かを考えていらっしゃる様子だ。

 すぐに返事をしない殿下に、アランが声を荒げ畳み掛ける。

「何を迷っているんだ、兄さん! 精霊魔術師たち総出で、あいつを止めよう! もちろん、俺も出撃する!」
「駄目だ。お前は行くな、アラン」
「……え?」

 アランが、何を言われたか分からないような表情をした。

 だけどノーチェ殿下は、言葉を失っているアランを一瞥すると、彼から別の人物に視線を向けた。

 琥珀色の瞳と視線を合わせながら発した言葉は、僅かに震えていた。

「ルドルフ、頼めるか?」

 どこか覚悟を決めたご様子で、ルドルフを真っすぐ見据えていらっしゃる。

 だけど今までとは違い、その表情には僅かに苦悶が見えた。しかしルドルフは、そんな殿下に微笑み返すと、力強く頷く。

「無論です。わしの力で、アレをできる限り足止めしましょう。そして残った精霊魔術師とエヴァ嬢ちゃんの力で、あの哀れな精霊たちを、どうか救ってやってくだされ」
「ま、待て! ルドルフ一人で⁉︎ あの大きさを、たった一人で足止めなんて――」

 アランが引き留めようとしたけれど、歩き出したルドルフの足が止まることはない。七十歳という年齢とは思えないほどの早い足取りで、前に進んでいく。

 その背中がまるで消えそうに思えて、思わず私はルドルフの後を追った。だけど追いつく前に腕をとられてしまう。

 振り返ると、厳しい表情をしたマリアがいた。私と目が合うと、黙ったまま首を横に振った。

 これ以上、進むなというかのように。

 マリアの言いたいことが分からず困惑する私に、ルドルフが振り返った。

「エヴァ嬢ちゃんと出会えて、本当に良かった。もっとも、あなたを救い出すことに時間が掛かりすぎたことだけが、心残りじゃがな」
「何を、言って……」
「幸せになるんじゃよ」

 私と一緒にいるとき、いつも見せてくれていた穏やかで優しい微笑みが映る。

 ルドルフが私たちに背を向けた。
 朗々とした低くも深い声が、響き渡る。

「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。我が命脈を受け取り、強き想いを更なる高みへ昇華せよ<断絶領域(ディスラプション・ゾーン|)>」

 次の瞬間、巨大な精霊の塊の足元が輝き出したかと思うと、まるで地面に縫い付けられたかのようにその場から動かなくなった。

 いいえ、それどころか、足元の光が液体の表面も包み込み、動きが止まってる。これなら、精霊の塊が形を変えて襲ってくることもないし、再生もしないわ!

 それにしても、あんな巨大な存在を、たった一人で止めてしまうなんて……やっぱりルドルフは凄い! 

 労いと喜びの声を掛けようとルドルフに視線を戻したとき、まるで時間がゆっくりになったかのように、ルドルフの身体が地面に崩れ落ちた。

 動けなかった。
 
 代わりに、最後に彼が私に見せた、微笑みと言葉が蘇る。
 儚く消えてしまいそうな背中が思い出された。

 それにさっき唱えた精霊魔法の呪文――

 ルドルフ、あなたは……
 あなた、まさか……

(オドを全て捧げて、私たちを守ろうとしたの?)

 ノーチェ殿下が叫ぶと、兵士たちがルドルフの元に駆け寄った。
 抱き起こした彼の顔は、血の気が全くなかった。
 
 だけどその表情は、まるで何かを成し遂げて満足しているかのように笑っていた。
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