精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第144話 伝えたかった言葉

 アランが開けてくれた道はとても広く、ルドルフの魔法の影響で、道が塞がる様子はなかった。
 
 風を切る感覚を全身で感じながら、なんとかぶつかったり落ちたりせずに、私は進んでいく。

 だけど、やはりコントロールが難しいと上位精霊たちに言われたとおり、安定しているとは言いがたくて、何だかフワフワして頼りない。一瞬だけ、落下するような浮遊感があると、冷や汗が噴き出してしまう。

 ここはかなり高い。
 もし落ちたりしたら、間違いなく命は――

 すぐさま最悪の事態を頭の隅に追いやると、ただ真っ直ぐ、行くべき道に集中した。

 命を懸けているのは、私だけじゃないのだから。

(早く、ソルマンのところに行こう)

 脳裏に、あの男の姿が蘇る。

 ソルマンは強い。
 精霊を生み出す力さえあれば、この世界の修復をになっていたのは、私でなくあの男だった。

 正直、あの男が持てる全ての力を使えば、たった一人でフォレスティ軍を蹴散らすことは難しくないわ。

 だけど、彼にも弱点がある。
 そしてその弱点を突き、この馬鹿げた戦争を終わらせることが出来るのは、きっと私だけ――
 
 突然、目の前が開けた。
 どうやら、ソルマンがいる金色の球体の中に入ったみたい。アランの魔法で大きな穴は空いているけれど、中の空間はそれ以上に広かった。

 爆音と悲鳴や叫び声で満ちた外とは違い、ここは息を吐き出す音すら大きく聞こえるくらいの静寂に満ちている。

 そんな中、

「エルフィーランジュ」

 ねっとりと耳の奥で絡みつくような声が響き、人影が近付いてきた。
 地面はないはずなのに、相手は地上と同じように歩きながら、こちらに向かってくる。

 近付いてくるその姿に向かって、ありったけの憎しみを込めて呼ぶ。

「……ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリっ‼」

 だけど、叫びに込められた憎悪など微塵も気づいていないソルマンは、代わりに微笑みを返してきただけだった。

 三百年前、私を迎えにきたと言って現れた表情と被った。
 私たちの幸せを奪った、あの微笑みと。

 恐怖が蘇る。
 心が萎縮する。

 だけど今の私には、目の前の恐怖に押し潰されない力が、決して折れることのない意思がある。

 大好きな人たちの気持ちが、
 愛する人の温もりが、

 今この瞬間も、私の心を守り続けているのだから。

 だから大丈夫。
 私は――立ち向かえる。

 あの男は、私の前で立ち止まると、両手を広げた。
 左手首には、鎖でつながれた金色の霊具が揺れている。精霊を視る目を取り戻した今、その中に閉じ込められている大精霊が視えた。

 だけど、違和感を抱く。
 確かルドルフは、大精霊とソルマンの魂が繋がって視えるって言っていたけれど、今は大精霊と繋がりつつも……別の物と繋がってる?

 私の考えは、あの男の声によって遮られた。

「やっと余の元に戻って来たか。この三百年間、お前が生まれ変わるのをずっと待っていた。この世界でたった一人、余と同じ存在であるお前を。これから先、いや、この先何度生まれ変わっても、余の永遠の伴侶としてともに生きよう」

 この先、何度生まれ変わっても?
 いやいや、無理ですっ‼
 もう前世と今世でお腹いっぱいなんですけどっ‼

と、勢いよく飛び出してしまいそうになるのを堪えると、できる限り冷静を装いながら、ソルマンに言葉を返す。

「私は、あなたに伝えたいことがあるから、ここに来たの」
「伝えたいこと?」
「三百年前、あなたはずっと疑問を抱き続けていた。大勢の人間達の中で、何故あなただけが、膨大なオドや精霊を視る目をもってるのかと。どうして他と違うのかと。その答えを私はもってる」

 ソルマンの動きがピタリと止まった。私を抱きしめようと広げていた両手がダラリと下がり、縋るような視線へと変わる。

「お前は、知っているのか? 余が何者なのか……」
「ええ、知っているわ。あなたは、ずっとそれが知りたかったの?」
「ああそうだ。ずっとずっと、自身が分からなかった。常に何かが欠けているような喪失感に苛まされてきた。何をしても、決して満たされることはなかったのだ。お前と……出会うまでは――」

 やっぱり。
 同類であるエルフィーランジュと出会ったことで満たされた気持ちを、この男は【愛】だと思ったのね。

 今まで、いえ、繰り返してきた前世の中でも、同じように生きてきたというのなら……哀れだわ。

 だけど僅かに生まれた同情も、憎しみの炎が焼き尽くしてしまう。

 確かに、人が持ち得ぬ力を持って生まれ、孤独を感じていた彼は、可哀想な存在だったのかもしれない。だからといって、周囲の人々に被害を与えて良い理由なんて、ないわ。

「それで何なのだ? 余は一体何者だというのだ⁉」

 ソルマンの表情に、最早余裕はなかった。
 待つことも惜しいのか、こちらに一歩踏み出したところで、私は口を開いた。

「あなたは私と同じ。精霊女王よりも前に【世界】によって創造された、精霊王と呼ばれる()()だった存在」
「せいれい、おう……? 呼ばれる()()だった、とは?」
「本来、精霊を生み出し、精霊と自然のバランスが崩れた土地を癒やす役目は、あなたが担うはずだった。だけどあなたは、要である精霊を生み出せなかった。しかし生み出された魂に罪はないと、【世界】は力を持たせたまま、あなたの魂を流転させた。この世界で生きる命の一つとして生きるようにと」
「……つまり余とお前は……」
「【世界】という同じ存在から、同じ力を与えられて生み出された特別な魂。それが私たち」
「……存在の成り立ち自体が、他の人間たちと違ったのだな。なるほどな……」

 ソルマンは自身の身体を抱きしめながら俯いた。
 普通ならこんな話、突拍子過ぎて信じて貰えないだろうけど、目の前の男には納得できる何かがあったのかもしれない。

 しばらくして顔を上げた彼の表情は、先ほどと同じ自信で満ちたものへと戻っていた。

 私に向かって手を差し出しながら、とても嬉しそうに微笑む。

「今の発言で再度確認した。やはりお前は余と結ばれるべき女だ。このことを伝えるために、自力でここまでやってきたのか? そこまでして、余に伝えたかったのか?」

 どうやらソルマンは、私が彼にこの事実を一番に伝えたいから、危険を冒してまでしてやって来たのだと勘違いしているみたい。

 私と本当に婚約したアランが、一番にイグニス陛下に報告したみたいな感じかしら。
 アランの時は、ただひたすら可愛いと心の中で悶えたけれど、目の前の男に関しては、苦笑いしかできない。

 まあ相手の表情を見る限り、この苦笑いも、同意の笑顔だととられているのだろうけれど。

 相変わらず、リズリー殿下と一緒で脳内お花畑ね。
 いえ、リズリー殿下がこの男の血を引いているからかもしれない。

 どちらにしても、血は争えないわ。

 軽くため息をつくと、私は首を軽く横に振った。

「いいえ、これが本題じゃないわ。あなたに伝えたいことは別にある。三百年前、あなたにどうしても伝えられなかったことが」

 私は、差し出されていたソルマンの手を取った。彼の左手も取って右手と合わせ、私の両手で包み込む。

 初めて私から触れてきたからか、緑色の瞳が細められる。私の手を握り返すと、口元をこれ以上ないくらいに緩めた唇から、嬉しそうな声が洩れた。

「お前が余に何を伝えたいのか、察してはいるが……聞こうか」
「ええ、そうね。大切なことは、言葉にしなければ伝わらないもの」

 さらに近づき、緑色の瞳を覗き込むと、ソルマンの瞳が僅かに見開かれた。

 それに応えるように、私は微笑みかける。
 微笑みという仮面を顔に貼り付けながら、彼の耳元に唇を寄せた。

「ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリ、私はあなたが――」

 ずっとずっと言いたかった。
 だけど前世の私は怖くて、ティオナに危害を加えられるかもしれないと恐れて、ずっとずっと言えなかった。

 憎しみの感情とともに封じ込め、心を濁らせてしまったその言葉を、

 今、
 初めて、

 ぶつけるべき相手に向かって言い放った。

「だいっっっっっっっっっ嫌いよ‼」
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