精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第149話 軽すぎる(別視点)

(ここは……)

 ソルマンは、ゆっくりと瞳を開いた。
 視界に真っ先に飛び込んできたのは、薄暗い空間だった。

 ここには何もなく、果ても見えない。
 気が遠くなりそうな空間の中に、ソルマンはいた。

(ここはどこだ? 余は一体……今まで何をしていたのだ?)

 記憶に触れようとしたとき、身体に全身を貫くような激痛と本能的な恐怖、そして、

『ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリ、私はあなたが、だいっっっっっっっっっ嫌いよ‼』
『私があなたを愛することは、決して無い。今までも、そしてこれからも――』

 最愛の女が満面の笑みを浮かべながら、自分を絶望に突き落とす言葉を告げる光景が思い出された。

 あれほど愛してやったのに――
 あの男から救ってやったのに――

 激しい憎しみとともに、全ての記憶が蘇った。

 愛する女のために、自分の命を危機に晒すほどのオドを捧げ、邪魔な大精霊たちを捕らえた。
 心身が衰弱した彼女のために、ありとあらゆる手を尽くした。
 たくさんの贈り物もしたし、生活に困らせることなど決してなかった。

 やっと見つけた自分と同じ存在。
 生涯の伴侶は、彼女しかいないと思っていた。

 しかしエヴァ(あの女)は、そんなソルマンの気持ちを弄んだ。
 気があるフリをして近づき、霊具を奪ったのだ。

 そして、

(余の魂は、闇の大精霊に捕まり……)

 ――喰われた。

 肉体的な死ではなく、存在そのものを消される恐怖が蘇る。

 自分の背後から迫る、黒い霧。
 それが身体に巻きつきこの魂を捕らえた時、力が吸い取られているかのように、魂の温度が急激に下がっていくのを感じた。

 何も出来なかった。
 ソルマンに残された道は、惨めったらしく足掻き、泣き叫ぶことだけだった。

 だがそんな自分を、愛する女はただ見ているだけだった。
 闇の大精霊に喰われる瞬間まで、凜然とした立ち姿で見つめていた。

 紫の瞳には、ソルマンへの同情や愛情は一切感じられなかった。

(屈辱だ……これほどまでに屈辱を与えられたのは、初めてだ……エルフィーランジュ……)

 恩を仇で返されたのだ。
 許せるわけがない。

「殺してやるっ、エルフィーランジュ‼ いや、死より辛い罰を与えてやるっ‼」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやる、ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリ」

 誰もいないはずの空間に自分以外の男の声が響き、ソルマンはギョッと目を見開いた。辺りを見回し、正面から近付いてくる影を視界の端に捕らえるやいなや、それを凝視する。

 影は、やがてはっきり輪郭を纏う。
 人間の形を――

「……ルヴァン・チェストネル・テ・フォレスティ」
「久しいな、この姿で会うのは三百年ぶりか?」

 憎しみを込めて名を呼ぶソルマンの前で、黒髪の男――ルヴァンが旧友に会ったかのような気安さで声をかける。

 しかし明るい声色とは裏腹に青い瞳は冷ややかで、自分の家族を不幸に陥れた元凶を見下している。

 だがソルマンにとっても憎き相手。
 殺気がこもった冷たい視線などものともせず、ありったけの憎悪を込めてルヴァンを睨み返した。

 その時、気付く。
 ルヴァンがソルマンを見下ろしていることに――

 ソルマンは慌てて自身の身体を見た。

 気付けば彼の身体は、両腕を上げた状態で座っている状態だった。両腕は固定されているのか、下ろすことは出来ない。両足は前に投げ出されていて、両腕と同じく動けないよう、見えない何かで固定されている。

(おかしい……魂には形などないはずなのに……)

 人の形を纏って拘束されている状況に、ソルマンの心に焦りが生まれる。
 前を向くと、すぐ目の前にルヴァンの顔があった。その口元は嘲笑で歪んでいる。

「闇の大精霊に喰われて終わりだと思ったのか?」

 予想だにしなかった言葉に、ソルマンは息を飲んだ。

 さらにルヴァンの顔が近付く。
 見開かれた青い瞳の中に、怯える自分の顔が写る。

「たったそれだけの罰で、許されると思っているのか?」
「あっ……あ、あっ……」

 目の前の男は、愛する人を奪い、縛り付けた敵だった。

 だが貧弱なオドしかもたぬ、取るに足らない敵。
 ソルマンが本気を出せば、簡単にひねり潰すことの出来る相手だったはずだ。

 なのに、身体の震えが止まらない。
 心の奥から溢れ出る恐怖を、止めることが出来ない。

 精霊女王の意に反し、魂ごと消滅するはずだったソルマンを捕らえたのは、間違いなくこの男――

 ソルマンの心の内を読んだのか、ルヴァンが鼻で笑う。

「大精霊たちが今世の精霊女王を守った礼に、私の願いをいくつか叶えてくれると約束したのだ。これは――その一つだ」
「ねっ、願い……?」
「そうだ。お前は、妻には言葉にするのも悍ましい苦痛を与え、娘からは本当の親を奪った。残された私がどのような気持ちを抱え、彼女たちの帰りを待ち続けたと思う? ようやく見つけた妻の凄惨な姿を、痩せ細った身体を、抱きしめた時の私の気持ちが分かるか? 娘を殺されたと告げられ、死を望む妻をこの手にかけなければならなかった絶望を、何と言い表せばいい? 私たち家族の人生を滅茶苦茶にした代償が、魂の消滅?」

 ゾッとするような笑みを浮かべ、ルヴァンが口を開く。

()()()()

 ソルマンは何も言えなかった。
 それほど、目の前の男が発する気迫に圧倒されていたのだ。

 その時、両指先と両足先にチリッとした痛みを感じ、思わず顔を歪めた。

(おかしい。肉体を失った余に、痛覚などあるわけないのに……)

 本来あり得ないことが起ころうとしている状況に、戦慄した。
 この異常に対する回答を持っているのは、間違いなく目の前の男。

「な、何をした? 余に一体何をしたっ‼」
「大したことじゃない。ただ、指の先からゆっくりと消滅していくだけだ。痛覚がある状態でな」
「なっ‼」

 ズキリと痛みが走った。
 それは瞬く間に激痛へと変わり、あまりの痛さにソルマンは絶叫した。

 両目を見開き、痛みから逃れようともがくが、もちろん両手両足を拘束されているため、動くことはできない。

 これが続くぐらいなら、ひと思いに消滅した方がマシだと思えるほどの激痛だった。

 声を裏返しながら叫びのたうち回るかつての強敵を、ルヴァンは感情のこもらない表情で見下ろしていた。

 そんな彼に、ソルマンが縋るように身を乗り出す。

「も、もう、転生など、のぞま、ないっ! 魂ごと消してくれ……あ、あがっ……た、頼む……」
「心配せずともお前は消滅する。大精霊にとって精霊女王の願いは絶対だからな。なに、消滅するまで大した時間はかからない」
「ほ、本当か? これに耐えれば、か、解放される、の、か?」
「ああ」

 そう頷いたルヴァンの姿が、ソルマンの目の前から消えた。
 代わりに声だけが、空間一杯に響き渡る。

「この【世界】が滅びるまでの、ほんの僅かな時間だ」

 ルヴァンの言葉が、ソルマンの耳の奥に木霊のように繰り返される。

 世界が滅びるまで……世界が滅びるまで……世界が滅びるまで……世界が滅びるまで……世界が滅びるまで……世界が滅びるまで……世界が 滅びルまデ……世界 が滅 ビルま で……世界 が  滅ビるマ デ……世界 ガ 滅  びルま   デ――

(ソレ ハ  イツ   ダ   ――?)

 次の瞬間、ソルマンの意識は真っ白になり、終わりの見えない激痛と絶望の中に沈んでいった。
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