精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第79話 それでは殿下、マルティ。どうぞお幸せに

「……え?」

 喚いていたマルティが目を丸くしながらアランを見ている。

 しかしアランは、マルティを捕らえている護衛騎士に目線で合図すると、彼女の拘束を解かせた。マルティの身体が糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。

 アランが放り投げた短剣の前で。

 鈍い光を放つそれを戸惑った表情で見つめているマルティの上から、笑いを含んだアランの声が降る。

「何をしてる、死ぬんだろ?」
「えっ、えっと……あのっ……」
「拘束は解いた。さっさとしてくれ。こちらも暇を持て余してはいない」

 激しく瞳を瞬くマルティに、アランは冷淡ながらも容赦ない言葉を浴びせる。

 彼女を見つめる青い瞳は冷然を装ってはいるけれど、傍から見ていても気圧されるほどの怒りに溢れていた。

 マルティも言った手前、引き下がれないと思ったのか、私が見て分かるくらい大きく唾液を飲み込むと、荒い息づかいのまま短剣を取った。

 自分の首元に向けた切っ先が、震えている。
 吐き出される息の音が、激しくなっていく。

 短剣の刃が首元に触れ、僅かに肌に食い込んだ瞬間、

「ひっ、痛いっ‼」

 マルティは悲鳴を上げると、短剣を床に落とした。ペタリと座り込むと刃が触れた首元に手を当てながら、ポロポロと涙を流している。

「……滑稽だな、マルティ嬢。ここまでしても、あんたの婚約者は止めもしなかったようだが」

 アランの言葉に気付かされたマルティは、涙で腫れた瞳をリズリー殿下に向けた。しかし殿下は大きく首を横に振ると、マルティの両肩を掴む。

「ち、違うんだっ‼ き、君の衝撃的な行動に、思考が追いつかなかったというか……」
「その割には、マルティ嬢が首元に刃物を当てるのを悠長に見ていた気がしたが?」
「これ以上はもう止めてくれ、アランっ‼」

 リズリー殿下が、整えられていた髪を搔きむしりながら叫んだ。
 そして悔しそうに唇を噛みしめると、アランと視線を合わせずに口を開く。

「……君の言うとおりだ。僕はエヴァと婚約破棄をし、今はマルティが僕の婚約者だ。だ、だから、なんとか……なんとか彼女に温情を与えて貰えないだろうか?」
「温情を与えて貰えないか、か?」

 殿下の発言の一部を、アランが低い声で反芻する。
 彼の言わんとしていることに気付いたのだろう。

 リズリー殿下が、アランの足下に近付く。

「……私の婚約者であるマルティ・フォン・クロージックに、どうかお慈悲をお与えください。アラン……様」

 そう言った殿下の額は、床についていた。

 土下座したリズリー殿下を無言で見下ろしていたアランが、チラッと私を見た。僅かに頷いて答えると、アランは再びリズリー殿下に視線を向けた。

「ならば今後、リズリー・ティエリ・ド・バルバーリとマルティ・フォン・クロージックのフォレスティ入国を禁ずる。それが守れるなら、温情を与えてやってもいい」
「ぼ、僕まで? 何故⁉」
「当たり前だ。今回の一件は、婚約者の動きを把握していなかったあんたにも問題があるからだ。即刻、この国を出て行って貰おう」
「即刻⁉」

 殿下たちは、今日王都エストレアについたばかりだから、帰る準備は何も進んでいないはず。

 食料や帰る途中の宿泊場所の確保など、本来なら何日も準備が必要なのに、何も準備ができていない状況で、突然祖国に戻れと言われれば、誰だって同じ反応をするわ。

 しかしマルティを守りたいのなら、飲むしかない条件だ。

 例え、食料不足や、宿屋に泊まることもできずに野宿が続くような、ひもじい帰路になると分かっていても。

「え、エヴァは……」
「連れて帰ると言える立場なのか? まあ、そこの霊具のようになっても良いと言うなら、止めはしないが?」
「れ、霊具⁉ あれが⁉」

 テーブルの上で転がっている霊具だった物を見たリズリー殿下が、驚きの声をあげた。本当に霊具なのかと問いかけるようにマルティを見ると、

「そ、そうなのです……誰も触っていないのに、ひとりでに潰れて……き、きっと、お、お姉さまが、何か仕掛けたに、き、決まってます……」

 あの時の光景を思い出しながら、マルティは自身の両肩を抱きしめながら答えた。ちなみに、先ほど短剣の切っ先が食い込んだ肌は、僅かに赤くなっているだけで一滴の血も出ていない。

 彼女の返答を聞いた殿下の視線が、再び私に向けられる。その表情には恐怖が滲み出ており、僅かに動いた唇からは、

「これが……せ、精霊の報復……だというのか?」

という呟きが漏れた。

 もしマルティを助けるなら、彼女共々、二度とフォレスティ王国には来られなくなる。隣国とトラブルを起こし、出禁になった人間が、果たして次期国王に相応しいのかと問題になるだろう。

 もちろん私を連れて帰ることもできないわけだから、こちらの要求通り、ギアスと霊具を捨てる以外、バルバーリ王国の衰退を止める術はないはず。

 もしマルティを見捨て、私を連れ帰ることに固執するなら、アランはきっと容赦しない。

 先ほどルドルフが伝えた罰、いえ、それ以上の罰を必ず執行するだろう。

 婚約者の行く末が、殿下の選択一つで決まる。
 未来のバルバーリ王として、国のために、負債でしかない婚約者を切り捨てられるかの器かどうかが、今試されている。

 少なくとも、私にはそう感じられた。

 マルティがしゃくり上げる音だけが響く中、リズリー殿下が出した決断は――

「……分かった。フォレスティ王国から立ち去ろう。し、しかし……少しでいいから、帰る準備のための時間を頂けないだろうか」
「いいだろう。だが、日没までには出て行って貰おう」

 リズリー殿下はガックリと肩を落とした。
 アランの鋭い視線が、安堵した表情を浮かべるマルティを射貫く。

「では、リズリー・ティエリ・ド・バルバーリの訴えに免じ、マルティ・フォン・クロージックを、王都引き回しの刑に処す」
「なっ⁉ さ、先ほど、温情を与えると、お、仰ったではないですかっ‼」

 アランの発言を聞いたマルティの悲痛な叫びが響き渡った。だけどアランは、表情一つ変えずに、今にも食って掛かりそうなマルティを見下ろす。

「温情を与えた結果、バルバーリ王国帰還の準備が整うまでの間、王都を引き回されるだけで済んだんだ。逆に、感謝して貰いたいくらいだが? そして今回一連の騒動について、バルバーリ王国へは強い抗議という形で報告させてもらう。それにより、マルティ・フォン・クロージックが引き起こした罪は、フォレスティ王国内だけでなく、周辺諸国にも広まるだろう」

 今度こそマルティは、自我を失ったように放心した。

 道に迷い、出口を見つけて助かったと思った直後、足元が崩れ落ちたような絶望を今、感じているのかもしれない。
 
 通常よりも短い時間だとはいえ、自分が罪人として他国で罰を受け、さらに罪人であることが大々的に公表されれば、国内外から批判が相次ぐことが目に見えている。

 間違いなく、クロージック家、そして聖女として名高かったマルティの名声は地に落ちる。

 今回の件で、マルティが私に対して誇っていたもの全てが失われた。

 霊具を持ち込んだことで罪人となり、そのせいで後ろ盾であったクロージック家の力は失い、私から精霊を奪えなかったことで、聖女と讃えられる優れた力もなくなった。

 今まで我が世の春を謳歌していたマルティに残ったのは、他国の罪人という烙印だけ。

 社交界には二度と顔は出せないだろうし、彼女を持ち上げ、崇めていた周囲の人々の態度も変化するに違いない。

 お父様が亡くなり、公爵令嬢から使用人という立場に落された私と同じように。

 リズリー殿下は、放心するマルティに、なんと言葉をかけていいのか分からずに戸惑っている様子だった。だけどこれ以上の減刑は望めないと彼も分かっているため、抗議はしなかった。

 隣にやってきたアランが、そっと私の肩を抱き寄せる。

「……ああ、忘れるところだった、マルティ嬢。後ほど個人的に会う約束をしていたが、()()()()()()()()()()から、なかったことにして欲しい。そして、リズリー」

 マルティは何も反応しなかった。代わりに名を呼ばれ、リズリー殿下が顔を上げた。

 憔悴しきった表情を見たアランの口元が、意地悪く歪む。 

「先ほど、心から愛した相手なら、どんな苦難があっても添い遂げるという考えに、あなたは同意したはずだ。ならば婚約者が罪人になっても、あなただけは彼女の味方でいるべきだろう。俺と同じように」

 罪人という言葉に、リズリー殿下は目を見開いた。

 マルティと結婚するということは、他国の罪人を妻にするということに他ならない。他国から侮蔑の目で見られることは想像に難くない。

 今回、殿下はマルティを助けた。

 だけどそれは愛を貫いたというよりも、自分の決定によって、知っている人間が目の前で死ぬプレッシャーに、耐えきれなかったからじゃないかと思う。

 そんな彼に、周囲の批判に耐えながら、罪人となったマルティを妻にする度胸があるのかしら。

「祈っているよ。あなたがエヴァを捨ててまでしてマルティ嬢を選んだ愛とやらが、この程度で折れないことを」

 皮肉るアランの表情は、今日見た中で一番生き生きしていた。

 心の中で苦笑しつつも、私はそっとアランに寄り添った。
 肩を抱く彼の体温が、じんわりと伝わってくる。

 その手に、温もりに、守られている幸せを感じながら、床に座り込み、呆然とこちらを見ている二人に、別れの言葉を贈った。

「それでは殿下、マルティ。どうぞお幸せに」

 自然と口角が上を向く。

 自分で言うのもなんだけれど、

 ――最高に晴れ晴れとした笑顔だったと思う。
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