精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第82話 続きを聞かせて?

 アランの言っている意味が、一瞬よく分からなかった。
 代わりに、頭の中で先ほどのやり取りが蘇る。

 私の考えは、すぐに妄想に寄っちゃうというか、自分にとって都合の良いようにとらえてしまう傾向があるのは、重々承知している。

 だけど今回ばかりは……

「……このままじゃ駄目だって思ったんだ」

 私の思考は、アランの言葉によって遮られた。
 こちらを見つめていたアランの視線が、いつの間にか逸らされ、正面の夜空を見上げている。

 語りかける声は、先ほど笑い合った明るさを潜め、暗く沈んでいた。

「初めて兄さんから、エヴァの身柄引き渡し要請がバルバーリ王国から来ていると聞いたとき、エヴァの存在を隠せばいいって、簡単に思っていたんだ。けど、君の考えは違った」
「ごめんなさい。そのせいで、陛下やアラン、そのほかたくさんの人たちに迷惑をかけてしまって……」
「それはいいんだよ。最終的に兄さんが出した決断なんだから」

 アランが私を安心させるように微笑む。
 だけどすぐさま笑みは消え、真剣な表情へと変わった。

「エヴァは逃げずに、自分を苦しめた奴らに正面から立ち向かおうとした。確かに、リズリーとの話し合いには、俺も同席したし、そのお陰でエヴァは最後まで頑張れたって言ってくれたけれど……今回結果を出せたのは、奴らから逃げずに向き合うことを決めたエヴァの強さの賜物だ。だから俺も……君に負けないように強くならないとって思ったんだ」

 確かに、バルバーリ王国から逃げ続けたくないから、立ち向かおうと思った。

 だけどそれが叶えられたのは、私の力じゃない。

 私はただ我が儘を言っただけに過ぎなくて、すべては、私の申し出を真剣に聞いてくれて、たくさんの人たちの力を使って計画を立ててくれた、アランたちのお陰だ。

 後で、関わってくださった皆さんにお礼を言いにいかないと、と頭の隅に留めながら、私は小さく首を横に振った。 

「買いかぶりすぎだわ。全てアランたちのお陰よ。私は強くも何ともないわ」
「そんなことない! エヴァはクロージック家にいたときから、ずっと強かったよ。あれだけの仕打ちを受けながらも強い憎しみを抱くこと無く、常に前を向いていた。それはクロージック家が、今この瞬間も存在している事実が証明してる。じゃなきゃあんな家、とっくの昔に精霊たちによって滅ぼされてるよ」
「確かに嫌だったけれど……でも、悔しいじゃない? 嫌な人たちからされたことに悩んで、心を消費するなんて。嫌な気持ちを引きずるか、さっさと忘れて楽しいことを考えるか、それは自分の心が決められることだもの」
「そういえば、ヌークルバ関所の一件後、ルドルフにも同じようなことを言ってたっけ」
「ええ。人の悪意で、自分の心が傷つけられたり、未来を潰されるなんて悔しいもの。それに――」

 今まで私を生かしつつけてくれたあの言葉を思い出しながら、微笑む。

「誰が何をしても、自分の誇りや心の自由までは奪えない、でしょう?」

 この言葉を聞いたアランが目を見張る。薄く開いた唇から、ひゅっと鋭く息を吸い込む音がした。
 何度か大きく瞬きを繰り返した後、

「……その言葉は、俺が昔エヴァに伝えた……お、覚えていたの?」
「もちろん!」
「お、俺、あの時、落ち込むエヴァに、すごく偉そうなことを言ってしまったなって後悔してて……」

 胸を張って答える私とは正反対に、アランは少し顔を伏せ、恥ずかしそうに口元を手で覆った。どうやら彼にとって、あの時の出来事はあまり良い記憶ではないみたい。

 だけどどういう形であれ、アランの中にあの時の記憶が残っていたことが嬉しくて、私はまだ掴んだままの彼の手を強く握った。

「そんなことないわ。あの時のあなたの言葉に、私は救われた。過酷な環境の中でも、あなたの言葉を思い出して生きてきた。私が強いというけれど、困難に立ち向かう強さをくれたのは、アラン」

 羞恥で揺らぐ青い瞳を真っ直ぐ見つめる。

「あなたよ」

 あなたがいてくれたから、
 あなたの言葉があったから、

 あなたのことを、好きになったから――

「……さっきは、ごめん」

 消え入りそうな小さな声で、アランが謝罪した。申し訳なさそうに、くしゃっと前髪を掻きあげると、胸の奥に詰まった物を吐き出すかのように、大きく息をつく。 

「エヴァが、婚約者の練習という意味でいいのかって聞いてくるから、鈍いにもほどがあると思って、思わず意地悪な質問を……」
「え、鈍い? でも練習だってアランが言ってたし」
「うっ……そ、そうだよな。うん、俺が悪いんだよな。強くなろうと意気込んだのに、いざとなると尻込みして予防線を張った俺が……」

 アランが額を抑えながら、もの凄く落ち込んでいる。
 だけど、少し不服そうに眉根を寄せた表情を見せてきた。

「でもこの際言っておくけど、今回の件だけじゃないからね? バルバーリ王国を出てから今まで、こっちは色々とアプローチをかけていたのに、エヴァはぜんっっっぜん気付かないし」
「あ、アプローチ⁉」

 いやいや、ご冗談を!
 そんなものをかけられていた覚えないのだけれど!

 驚いている私を見て、アランがこれ見よがしに特大のため息をついた。その態度に私もムッときて、彼から離した手を腰に当てた。

「そ、そういうアランだって人のこと言えないはずよ! ヌークルバ関所を出た後、馬車の中で、私があなたの上着の裾にわざと触れていたこと、気付いてなかったでしょう?」
「気付いてたよ」
「ほらー……って、え?」

 き、気付いていたの?
 え? やだ、バレてたなんて恥ずかしいっ‼ 

 ってことは、彼に私を意識させる作戦は成功して――

「でもあの時は、俺の上着を触って、緊張を和らげているのかなーって思ってて……」

 ですよねー!
 分かってたけどっ‼

「ほらっ、アランも鈍いじゃないっ! ヌークルバ関所で夫婦のフリをしたときも、リズリー殿下の前で、あ、ああ……あ、愛してるって言ってくれたときも……わ、私、死ぬかと思うぐらいドキドキして一杯一杯だったのに!」
「え? で、でも、さっき名演技だったって自分で言って……」
「そんなわけないでしょ! ヌークルバ関所の時だって、リズリー殿下の件だって、何一つ、演技なんてしてないわ! え、演技する心の余裕なんてあるわけ……ない、じゃない……」

 思い出せば思い出すほど、恥ずかしさが強くなって、言葉尻が弱々しいものへとなっていく。

 仕方ないじゃない。
 大好きな人と、あんなことやこんなことしていたら、いくらフリでも意識せざるを得ないんだから。

 その時、アランの肩が震えた。
 喉の奥から洩れ出た小さな笑い声が、大笑いへと変わっていく。

 お腹を抱え、笑いすぎて滲んだ涙を指で拭うと、少し呆れたような、でも嬉しそうな笑みをこちらに向けた。

「あははっ……俺と一緒だったんだな、エヴァも」
「えっと、どういうこと?」
「だから俺も、今まで演技なんてしてなかったってこと。夫婦のフリのときも婚約者のフリのときも、エヴァに見せた行動は全て、演技じゃなくて……全部俺がしたかった行動……ってことだよ」
「それって……」

 夫婦のフリをしたときに言ったことも、リズリー殿下の前で言ったあの発言も……全部、全部、彼の本心?

 アランの手が私に向かって伸び、編み下ろされた髪の編み目をなぞる。

「……始めは、エヴァが幸せになってくれれば、それだけで良かったんだ。だけど、幸せになったエヴァの隣には俺がいたくて、エヴァが笑い合う相手が俺であって欲しくて……気付けば、君とともに生きていきたいという気持ちで一杯になってて……」

 そう話すアランの口調が、だんだん焦ったように早口になっていく。

「だ、だけどエヴァは誰にでも優しいし、アプローチをかけても、なっ、何の反応も見せないしっ! ただの友人としか思われていないんじゃないかって……って俺、何言って……ご、ごめん、こんな格好悪い姿を見せるつもりは――」
「そんなことない! だから続きを聞かせて?」

 顔を背けて逃げそうになったアランの両頬を、私の両手で挟んでこちらに向けさせる。
 普段の私なら絶対にしない、咄嗟に出た行動だと言っていい。

 それほど、次の言葉が聞きたかった。
 彼が私を語る言葉の一つ一つが、脳内を甘く痺れさせる。

 見つめた青い瞳が、落ち着きを取り戻すのを感じ、彼の頬から手を離そうとした。だけどすぐさま手を取られ、逃がさないとばかりに強く握られてしまった。

 僅かに開いていた私たちの距離が無くなる。 

「……エヴァ。あの時の言葉の続きを今、伝えてもいいかな?」

 心臓が跳ね上がった。

 詳しく説明されなくても分かる。
 マリアが来たことで途切れてしまった、あの時の言葉だ。

 全てが終わったら聞かせて貰おうと、心の奥にしまい込んでいた、あの時の言葉――

 頷く代わりに、私の手を握っていた彼の手に指を絡ませようとすると、アランの眉が僅かに上がった。だけどすぐさま、柔らかな微笑みとともに、指同士が絡み合う。

 彼の唇が、ゆっくりと動く。

「俺は――エヴァのことを心から愛している」
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