聖女の身代わりとして皇帝に嫁ぐことになりました


 ……だから演技は苦手なんだってば。



 わたしは困惑しながら、愕然と目を見開いているジェラルドを見下ろしていた。

 驚いた顔でこちらを見てくるのはジェラルドだけではない。アンジェリカも、セラフィーナも、セラフィーナの周りの男たちも、驚愕した顔をこちらへ向けている。



「……クリスティーナ、どういうこと?」



 いち早く我に返ったセラフィーナが低い声で訊ねながらこちらを睨んできた。まるで裏切られたと言わんばかりに怒りのこもった苛烈な視線だったけれど、いや、もともとわたしはマクシミリアン側の人間ですからね。裏切ったわけではないのですよ。



 それにしても、どうしてこんなことになったのだろうか。

 わたしはこっそり嘆息して、昨日のことを思い出す。



 昨日、セラフィーナの離宮で生活していたわたしのもとに、マクシミリアンから手紙が届いた。フィサリア国からジェラルド王太子が来るので、城へ来るようにと言う命令文だ。

 もともと適当なところでセラフィーナの離宮から出ていく予定だったわたしは、ジェラルドが来るついでに呼び戻してくれるつもりなのかなと思った――のだが、どうやらそうではなかったらしい。



 マクシミリアンは、彼の名付けて「悪人一網打尽計画」にわたしを巻き込みたいがために呼び出したのだ。

 そして今日、彼が用意した綺麗なドレスに身を包み、謁見の間でマクシミリアンのすぐ後ろに控えているように命じられた。



 もうね、さっぱりだよ。



 協力しろと言った割にあんまり詳しいことは教えてくれなかったし。

 隣のマクシミリアンは人の悪そうな笑みを浮かべて、とっても楽しそうだけどね。ジェラルドの大げさな演説に付き合って、こっちまで大げさにしなくてもいいと思う。



 それにね、アンジェリカが本物の聖女ではないってどういうことなんだろう。それ以前に、四百年前から今日まで聖女が誕生していなかったというくだりも説明してほしい。

 というか、さっきからあちこちから視線を向けられて、わたし、針の筵状態。居心地悪いから、早く解放してくれないかな。



「ハ! クリスティーナが本物の聖女? ご冗談はおよしください」



 ジェラルドが鼻で笑う。いやね、わかってるよ? フィサリア国では魔術を使ったことがないから、わたしは聖女認定されていないけど、そんな馬鹿にしたように笑わなくてもいいじゃない。別にわたしが言い出したことじゃないんだしさ。

 しかしマクシミリアンは平然としている。嘘だってバレバレなのに、どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう。アンジェリカがジェラルドの言う通り『本物の聖女』で本当に大陸を破壊しようとしたらどうするのか。



「では逆に訊ねるが、アンジェリカが本物であるという証明はどこにある?」

「アンジェリカは聖王の泉が聖女だと判じました。それが証明です!」

「ならば、その力とやらを好きに使って見ればいいだろう。……そうだな、大陸を破壊できるほどの力だ、今ここで私の息の根を止めるくらいたやすいだろう。本物だというのならやってみせろ」



 わたしはギョッとした。

 なんてことを言うのだ。アンジェリカがその気になったらどうする⁉



「ま、まっ――」



 止めようとしたけれど、マクシミリアンが「黙っていろ」と言い出そうな顔を向けてきたからそれ以上何も言えなかった。

 マクシミリアンはアンジェリカがジェラルドの言うところの『本物の聖女』ではないという確証があるのかもしれないけれど、わたしは落ち着かなくなって、そわそわと視線を彷徨わせる。玉座の下に控えていたブライトと視線が合えば、彼は「大丈夫」とばかりに頷いた。本当に大丈夫? マクシミリアン、死んだりしない?



 ぎゅうっと両手を胸の前で握りしめる。

 どうしよう。万が一の時、わたしの魔術で太刀打ちできるのかな。でも、わたしの魔術はイメージできないことには発動しないから、アンジェリカの魔術を防ぐにはどうしたらいいのかわからない。

 アンジェリカがきょとんとした。



「まあ、正気ですか?」

「いたって正気だ。本物なら、当然できるのだろう?」



 馬鹿にされたと思ったのか、アンジェリカの顔にさっと朱が差す。



「当然ですわ! 後悔なさっても遅いですわよ!」

「陛下!」



 やっぱりただ見ていることなどできずに、わたしがマクシミリアンの前に飛び出せば、彼が玉座から立ち上がって、そっとわたしの腰を引き寄せた。



 あれ、なんか、抱きしめられるような体勢じゃありませんか?



 ぽすっとマクシミリアンの胸に抱きこまれるような格好。皇帝陛下の盛装なのか、豪華な黒い衣装からはミントのようなさわやかな香りがする。いい香り。マクシミリアン、やっぱり背が高いなあ……って、そうじゃない!



 どうして抱きしめてられるの?

 これは一体どういうこと?



 顔をあげようとすると、わざとなのか、後頭部に手を回されてより一層抱きこまれてしまう。



 あわわわわわ!



 マクシミリアンの体温が伝わってきて、頭上からは息遣いも感じられて、わたしの鼓動が一気に跳ね上がった。

 誰か説明して! どうして抱きしめられているの⁉

 ドキドキしすぎて心臓が壊れそうだ。マクシミリアンがアンジェエリカに殺される前にわたしが心臓発作でも起こして死んでしまいそう。



「どうした。早くしろ」



 マクシミリアンはなぜこんなに楽しそうなんだろう。

 よしよしって頭を撫でないでほしい。

 もう、誰でもいいから説明してよ!



「馬鹿にして‼」



 アンジェリカのヒステリーな叫び声が聞こえてきた。マクシミリアンに抱きしめられているから彼女の顔は見えないけど、きっと顔を真っ赤にして怒っていることだろう。



「殺してやるんだから! あんたなんか、殺して、殺して……‼」



 アンジェリカの喚き声に、心臓がひやりとしたけれど、何かが起こる気配はない。

 マクシミリアンの心臓も、きちんと一定のリズムで――ちょっと早い気もするけど――鼓動を打っている。



「どうした、できないのか?」

「うるさいわね! 今すぐにでも殺してやるんだから、待ってなさいよ‼」



 アンジェリカがギャーギャー騒いでいる。

 マクシミリアンの腕の力が少し緩んだので、わたしは首を巡らせて、そっと背後を見やった。

 玉座の下では、アンジェリカが顔をトマトのように真っ赤に染めて、両手を前に突き出して、「んーっ」と唸っていた。



 ……ええっと、これはどういう状況?



 ぽかんとしているのはわたしだけじゃない。謁見の間にいたほぼ全員が、目を丸くして事の成り行きを見守っていた。

 ジェラルドとセラフィーナだけは、青い顔をしていたけど。



「聖女ならたやすいことだろう?」

「だから、黙っていなさいよ! すぐなんだから!」



 マクシミリアンは細く息をついて、わたしの耳に小さくささやく。

 くすぐったくて首をすくませれば、揶揄うようにうなじを撫でられた。本気でくすぐったいし、恥ずかしいからやめてほしい。



「クリスティーナ、お前が村や町で販売していたような氷の塊を、この場に出せるか? そうだな、場所は、ジェラルドとアンジェリカのすぐ後ろがいい」



 吐息のような小さな声でのささやき。

 そんなのお安い御用だけど、どうして氷がほしいのかしら。……室内がちょっと暑いから、涼しくなりたいのかしらね。自分お命が危ういって状況なのに暢気なものだ。



 わたしは目を閉じて氷のイメージを作り出すと、アンジェリカたちの背後に氷の塊を呼び出した。

 ドドン! 氷が出た直後、マクシミリアンが高らかに宣言する。



「これが本物の聖女――クリスティーナの力だ」



 わたしが作り出した氷を指さしてニヤリと笑うマクシミリアンと、それを茫然と見つめる人たち。何が何だかさっぱりだ。

 いやいや、巨大な氷の塊ごときで聖女宣言されてもね。なんか滅茶苦茶恥ずかしいんですけど。



 よくわかんないけど、マクシミリアンはジェラルドが言っていたところの『本物の聖女』とやらにわたしを仕立て上げたいのかな?

 まだ『本物の聖女』がなんなのかよくわかんないけど、だからこそ、ここは下手に口を出さずにおとなしくしていた方がいいよね。



 セラフィーナが驚愕に引きつった顔をこちらへ向けてきたけど、なんでそんなに驚いているのだろう。セラフィーナも聖女なんだから、このくらいできるんじゃないかなあ。それとも、マクシミリアンの言う通りずっと聖女は誕生していなくて、セラフィーナは聖女じゃなかったとか?



 わたしがチンプンカンプンな顔をしていると、マクシミリアンがまたわたしの頭を抱き込んだ。だからどうして抱きしめるかな? もしかして、こうしていないとわたしの間抜けな顔で計画がパアになるとか思ってる?……そうだったら失礼すぎるけど否定できないのが悔しい。

 ジェラルドも茫然とした顔をしている。

 アンジェリカは目をぱちくりさせて、「何で氷があるの?」と首をかしげていた。



「これでわかっただろう。泉が選んだ聖女はアンジェリカではない。クリスティーナだ。十一年前、聖王の泉とやらが光ったときに、アンジェリカのそばにはクリスティーナがいたそうだな。それなのに、どうしてクリスティーナが聖女である可能性に気づかなかったのか、私としては甚だ疑問だ」



 どゆこと?



 まだよく状況が飲みこめないわたしが、もぞもぞとマクシミリアンの腕の中で顔をあげると、彼は苦笑を浮かべた。

 聖王の泉が光ったときにわたしがアンジェリカと一緒にいて、実は泉が聖女だと判じたのはアンジェリカではなくわたしだけだったって、そういうこと?



 え? え? ……え?



 混乱の極みとはこのことをいうのだろうか。頭の中が真っ白になって、わたしはおろおろするしかできなかった。



 待って、マクシミリアンはいつからそのことに気が付いていたの?



「さて」



 まるで所有権を主張するかのように、わたしを抱きしめたままのマクシミリアンが、先ほどとは打って変わって低い声を出した。

 地を這うような声に、わたしがビクッと肩を揺らすと、なだめるように頭を撫でてくれる。



「これでこの茶番劇も終わりかな」



 マクシミリアンが軽く手を振れば、謁見の間にどどっと兵士が押し入ってきた。

 あっという間にジェラルドやアンジェリカ、そしてセラフィーナとその周囲の男たちを捕縛しはじめる。



「何をするのです! マクシミリアン!」



 セラフィーナが金切り声をあげたけれど、マクシミリアンは冷ややかだった。



「何を? 気が付いていないと思っているのか? そこにいるジェラルド、そしてエンバース侯らと共謀し、帝国の転覆をはかったことは調べはついている。今までいろいろとこざかしい真似をしてくれたようだが、これで終いだ。観念するんだな」



 なるほど「悪人一網打尽計画」とやらはこのことだったのか。

 わたしは捕縛された彼らが連行されて行くのを、マクシミリアンの腕の中で茫然と見つめていたのだった。


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