姪っ子と私
夜遅く、電話がかかってきた
「あの、大輔ですが、知春さん?」
「はい、未春どうかしたんですか?」
「それが、事故にあって、救急病院に搬送されたんで・・・・」

未春は、大輔さんとの話し合いの結果、別れると決めて、信号がかわりかけの横断歩道に飛び出して行って・・・
美玲を連れて、病院に行った時には意識もなくて、田舎の両親や大輔さんの両親とかに連絡して・・・
3日後、意識が戻らないまま亡くなった。

美玲をどうするか?という話し合いが親族間で持たれた。
6ヶ月の赤ちゃんの美玲を育てられるっていう人は親戚にはいなくて、施設に預けるっていうことになる時に、どうしても美玲と離れられなくて、片割れだった未春の子どもって思うと切なくて、私が引き取ることにして、保育所の手配やベビーシッターの手配、会社へも相談をした。

うちの会社は、子育てしやすい会社っていうのが売りになってるような会社で子供がいれば時短勤務も認められるし、転勤も配慮される。
私は慣れるまで6時間勤務にしてもらって、美玲との暮らしを始めた。
美玲の父親である大輔さんからは、毎月、養育費を支払ってもらう取り決めもした。美玲が大学卒業する22歳までという約束で・・・。
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