貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
「とんでもない! 主任はいつも丁寧に仕事を教えてくださいます。私、この会社を選んで良かったって思ってます。教授(せんせい)も後押ししてくださいましたし」 

そう言って真面目に返す彼女をみて、つくづくらしいと思ってしまう。この就職先にも裏があるなんて疑いもしないのだから。

実際には、こんなにうまく行くと思っていなかった、と言うのが本当のところだ。
もちろん母は就職課に手を回して、彼女の就活先の一つにうちの会社を入れたようだが、最終的に選ぶのは彼女だ。天に祈るような気持ちだったが、思惑通りになってくれた。

彼女を騙しているようで、正直心が痛む。けれどこれも、旭河を守るため。そして、彼女自身のことも。

また笑顔で母と仕事の話しを始めた彼女の顔を見ながら俺は思う。

やっと目が届く場所に来てくれたんだ。もう、二度と泣き顔は見たくない。

『与織子の大根さんの葉っぱ! 踏んでる!』

初めて出会ったとき、いきなりそう言って泣かれてしまった。もう16年も前だ。きっと彼女は覚えていないだろう。宥めすかしてようやく笑顔を見せてくれたとき、俺はどれだけホッとしたか。

あのときのまま、変わらないな

愛らしい笑顔を見せている彼女の横顔を見ながら、俺は昔を思い出していた。
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