全てを失っても幸せと思える、そんな恋をした。 ~全部をかえた絶世の妻は、侯爵から甘やかされる~

侯爵の最期の言葉

 アベリアと侍女のマネッチアを乗せた馬車が、王都へ入った頃だった。
 アベリアは、誰が見ても分かるほどに体調を崩していた。それは、馬車に揺られ、座っているのもままならない程だった。
 今のアベリアは、馬車をから降りて休憩をしていた。

 彼女は、今朝目が覚めてからずっと、胸に込み上げるような感覚が続いていた。
 でもそれは、これからの現実に、心が抵抗しているのだろうと思っていたし、体に感じる違和感には、気づかない振りをしていた。
 何も言わず姿を消す自分は、もう、デルフィーと会う事は出来ないと分かっていた。
 自分は初めて恋をした。
 それは、彼の為に自分に出来る事は何でもしたいと思える恋だった。
 デルフィーと一緒に過ごした時間は、初めて会った時からずっと心地がよかったし、互いの気持ちが通じ合っている事が分かって幸せだった。
 ただ、2人の関係を現実が許さないだけだった。
 デルフィーは、侯爵家で仕える執事で、高い志があった。
 何もしていないケビン・ヘイワード侯爵とは違って、彼は領民達のこの先の生活を見据えている優秀な執事だった。
 自分の気持ちだけで、領民達から彼を奪う訳にはいかなかった。
 自分はその現実を、ちゃんと納得していたはずだった。なのに、デルフィーとの別れを頭では理解しても、心が追い付かないのだと思っていた。


 今の休憩は、領地を出発してから、もうすでに5回目だった。
 そのせいで、全ての予定を大きく狂わせていた。
 当初の予定では、途中の休憩でヘイワード家の御者の目を盗んで逃げだすつもりだった。
 日頃、馬車に酔う事もないアベリアは、全く想定していなかった出来事で不安になっていた。
「お嬢様、レモン水を持ってきましたよ。こんな時に無理をしてはいけません。この先の事は邸に着いてから、ゆっくり考えましょう」
「――っ」
 隣で心配するマネッチアへ、なんて声をかけてよいか分からなかったアベリア。
 でも、マネッチアには、「今のアベリアの体調では、逃げ出すことは断じて無理」だと言う事は分かり切っていた。


 マネッチアは、アベリアから王都へ着く前に逃げ出す予定でいる事を予め知らされていた。
 アベリアからは、逃げ出す理由も無く、ただ「侯爵から逃げる」と告げられただけだった。
 でも、あの侯爵と愛人の事をよく知っているマネッチア。
 自分が、主のアベリアへ思いとどまるよう説得する気にはなれなかった。
 むしろ、そうするべきだと思っていた。
 いの一番に「どこまでもご一緒します」と、伝えた。
 マネッチアは、アベリアが侯爵夫人でなくなっても、彼女と一緒にいれば、困ることはないと分かっていた。
 それは、長年仕えている主は、あの臭い雑草から金貨を作るアベリアだから、疑うことはなかった。
 アベリアから「もう仕える必要はない」と言われても、離れる気持ちは全くなかった。


 結局、動きたくても動けないアベリアの体調を優先し、途中で逃げることは出来ないまま、侯爵の邸へ到着した2人。
 アベリアは到着するなり直ぐに、侯爵夫人の私室で横になっていた。
 間もなく夕食の時間。
 本来であれば、ヘイワード侯爵と晩餐を摂らなくてはいけないアベリア。
 だけど、込み上げる嘔気はおさまらず、晩餐など摂れる状態ではなった。

「お嬢様、何か食べられそうなものを、お持ちしましょうか? 先ほど料理人に聞いたんですが、今日はお嬢様のお好きな、カボチャのスープみたいですよ」

 何も口にしていないアベリアを心配して、マネッチアが声をかけた。
「ありがとう、でも本当に何も食べれそうにないから、今日は遠慮しておく。でも、私が晩餐へ行かないと侯爵が文句を言ってくるかもしれないから、行けないことをあの方へ伝えて来て欲しいんだけど」
 青白い顔をしているアベリア。それなのに、自分の事よりも、マネッチアが侯爵に叱られる心配をしていた。


 以前の侯爵であれば、アベリアの事に興味は無かった。
 だけど、今の侯爵は少し違っていた。
 この邸へ、青白い顔をして帰ってきたアベリアの事を見て、不安になっていた。
 そんなタイミングで、彼女の侍女から今日の晩餐に同席できない旨の知らせを受けた。
 侯爵は異議も無く納得していた。
 そして、マネッチアでさえ驚く言葉を、アベリアに対して言伝した。
「『大事にするように』と、伝えてくれ」
 

 侯爵はアベリアを心配し、晩餐の後にアベリアの様子を見に行こうと思っていた。
 けれど、その一言が最期の言葉になった。
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