政略結婚は純愛のように〜完結編&番外編集〜
由梨の秘密
「それにしても加賀社長、いつまで経っても体型がお変わりにならないですね。羨ましい」

 父の代から世話になっている老齢のテーラーが隆之の身体にメジャーを当てながらため息をついている。

「ジムには最近も通われているんですか?」

 尋ねられて隆之は首を横に振った。

「いや、最近はなかなか」

「お忙しいですからね」

 北部物産本社ビルの社長室である。

 隆之は、昼休みを利用してテーラーに来てもらい新しいスーツを新調するための採寸をしている。
 隆之にとってスーツは消耗品に等しい。
 どんなにいい生地で仕立ててしっかりメンテナンスしたとしても、やはり毎シーズン何着かは新調しないと間に合わない。
 着る物にそれほどこだわりのない隆之にとっては、ややおっくうな作業だった。
 仕立ては生地やデザインを選ばなくてはならないからだ。

 だがその点、今来てくれているテーラーは隆之の好みや生活スタイル、それから大体の業務内容も把握してくれているから細かく指定しなくても、いいものを仕立ててくれるのがありがたかった。

 このテーラーは北部物産の取引先でもある近くの老舗百貨店の紳士服部門にいるのだが、忙しくて店までは行けない隆之の為にこうやって都合に合わせて来てくれる。

「では出来上がりましたらお屋敷の方にお持ちします。秋元さん宛にご連絡します」

 テーラーの言葉に、隆之は頷いた。

「よろしく」

 するとそこで生地見本を片付けていたテーラーが思い出したように口を開いた。

「そういえば社長。先日秋元さんと奥さまに店の方にお越しいただきまして、ありがとうございました」

「ああ、そういえばそうだったな」

 つい二週間ほど前、由梨と秋元がふたりで百貨店へ行ったのだ。

 妊娠中である由梨のための洋服と、出産に必要なものを前もってみつくろうためである。
 当初由梨は、普段買い物をする時のようにひとりで店舗の方へ行くつもりだったようだが、それはダメだと秋元に諭されて最上階の特別室で買い物をしたようだ。

 自分の服はともかくとして、子供のためのかわいいオーガニックのおくるみが買えたと帰ってからニコニコして報告してくれた。

『まだちょっと気が早すぎるんですけど。どうしても欲しくなっちゃって』

 そう言う彼女はもうすっかり母親の顔で、隆之の胸は愛おしさでいっぱいになった。

「加賀社長の奥さまがおみえになっていると聞いたので、社長もおこしになられているのかなと思いまして、私も少し顔を出したんです」

 テーラーの言葉に隆之は申し訳ない気持ちになった。

「それは申し訳ない。私は仕事で行けなかったんだ」

 そもそも百貨店へは、はじめは夫婦ふたりで行くはずだった。
 でも直前にどうしても外せない仕事が入って同行できなくなってしまったのだ。

 次の週ならば、隆之の予定は空けられたのだが、代わりに秋元が自分が付き添うと言ってくれて予定通り由梨は出かけていった。

『秋元さんがいてくださるなら心強いです』

 そう言っていたが、それが本心だったのかどうなのか。
 おそらくは忙しくする自分に気を遣ったのだろう。かわいそうなことをしたと思い隆之の胸がちくりと痛んだ。

 北部物産のTOBに成功してからの隆之は、今までにも増して忙しい日々を送っている。やらなくてはならないことは山積みだからだ。
 筆頭株主が加賀ホールディングスに代わったとはいえ、今井コンツェルンが北部物産の株式を第二位の割合で保有していることには変わりない。
 友好的な関係にあった今までよりも、難しい舵取りを迫られているといえるだろう。

 そんな日々の中で自分が身重の彼女にしてやれていることは、そう多くないと自覚している。
 せいぜいが朝食を作ることくらいだ。

 世間の一般的な夫は病院にも付き添うという話だが、予定が合わず隆之はまだ一度も実現できていない。

 一方でテーラーはにこやかに百貨店での由梨の様子を話しはじめた。

「あの日は、とりあえずベビー用品は下見でご自身のお洋服を、というお話でしたが、おくるみをひとつ気に入っていただいたようで、お買い上げいただきました」

「ああ、とても喜んでたよ」

「趣味がよくて素敵な方だ、なによりお綺麗でお優しい方だと婦人服部門の担当者もベビー用品部門の担当者も感激しておりました。私もはじめてお会いさせていただきましたが、とても可愛らしい方ですね」

 テーラーはそう言って、少しからかうような視線を隆之に向ける。

「いや、まぁ」

 隆之は言葉を濁して彼から視線を逸らした。

 もちろんその意見には完全に同意だが、まさかそれを口に出すわけにはいかない。
 さりとて、無駄に謙遜する気にもなれなかった。

 その様子に、テーラーがくすりとする。

「珍しいですね、社長のそのようなご様子は。奥さまに夢中だという噂は本当のようだ」

 そんな噂どこで流れているのだとも聞けなくて、隆之は咳払いをしてあたりさわりのない言葉を口にする。

「いい買い物ができたと喜んでいたよ。ありがとう」

 それにテーラーは頷いた。

「いえ。物産展の方も、何事もなく楽しんでいただけましたようで、安心しました」

 その言葉に隆之は首を傾げた。

「物産展?」

「はい。あの日はちょうど沖縄物産展を催し物会場でやっておりまして、特別室での買い物が終わった後に秋元さんと行かれたはずです」

「……」

 不意に出た意外な話に、隆之は考え込んだ。買い物ついでに物産展へ寄る。物産展が大好きな由梨にとってはごく自然な行動だ。 
 でもそれに違和感を覚えたからだ。
 物産展へ行ったとしたら、まず間違いなく彼女は隆之に言うはずだ。
 どういう品が並んでいて、なにを買ったのか。
 場合によってはオレンジ色のファイルにまとめたものを見せながら。

 それなのに、二週間経った今もまだ隆之は彼女が物産展に行ったことを聞いていない。

 どうしてだろう。

 疑問に思う隆之をよそにテーラーが続きを話しはじめる。

「ただ催し物会場は人が多いですから、身重の奥さまが行かれるのは危ないんじゃないかと我々は心配になりまして……。ご希望の物はお持ちしましょうと申し上げたのですが、奥さまはそれじゃ意味がないとおっしゃったんです」

 困ったように言うテーラーに、隆之は苦笑した。

 物産展が大好きな由梨のことだ。
 物を買えればそれでいいというわけではなかったのだろう。自分の足で店を回りあれこれ見たいはずだ。

 だが百貨店の人間はそんなことは知らないから、驚いたに違いない。
 特別室で買い物をするような顧客が、なぜ物産展に自分の足で行きたがるのか首を捻ったのだろう。
 あたふたとして止める彼らと、どうしても自分で行くと言い張る由梨のやり取りを想像して、隆之はくっくと笑った。

「社長?」

「いや心配かけて申し訳ない。妻は物産展に行くのが趣味でして。品物を買うだけじゃ満足できなかったのでしょう」

 そう説明をするとテーラーは納得した。

「ああ、そうだったんですか。だったらちょうどよかったですね。あの日は物産展最終日でしたから」

 その言葉に、隆之は眉を上げる。

「最終日?」

「そうです。あの日が最終日でした」

「……なるほど」

 隆之は呟く。
 由梨が物産展の件を自分に隠していた理由がわかった。
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