政略結婚は純愛のように〜完結編&番外編集〜
「た、隆之さん…あの」

「なに?」

「あの…」

 由梨は素肌に直接感じる白いシーツの上で身をよじって、窓の方へ視線を送った。

「…カ、カーテンを、し、閉めてください」

 時刻は、午後九時。レストランで夏のノルウェー料理を堪能した二人は、手を繋いで街を散策しながらさっきコテージに戻ってきた。
 そして由梨はシャワーを浴びた。
 先にどうぞと言われてなんの疑いもなくそうした由梨だったが、出てすぐに待ち構えていた隆之に捕まって、ベッドへ連れ込まれてしまったのだ。
 身につけたばかりの由梨のお気に入りのパジャマは、隆之の手によって半分ほどを脱がされて、身体に巻きついている。
 午後九時を回っているとはいえ、夏のノルウェーの日は長い。窓の外はまだ夕方のように明るいというに、このように肌を晒していることがたまらなく恥ずかしかった。
 しかも由梨を見下ろす隆之の方は、キチンと服を着たままなのだ。
 獲物を仕留めて舌舐めずりする狼の如く由梨をベッドに縫い付けて、彼は優雅に微笑んだ。

「カーテンを? どうして?」

 由梨の考えなどお見通しのはずなのに、白々しく言うのが憎らしい。由梨は頬を染めて彼から目を逸らし、懇願するように口を開く。

「あ、明るくて…、恥ずかしいです」

 隆之はこの旅行ではずっとリラックスしているようだった。見たいものを見て、食べたいものを食べ、時には無邪気とも思える表情を由梨に見せた。
 由梨はそんな彼の姿に、終始胸をときめかせていた。普段は昼も夜もなく働く彼だから、今このときくらいは、好きなように振る舞ってほしいと素直に思う。
 でも夜は…となると話は別だと由梨は思う。
 普段の隆之は、結婚してからも仕事を続ける由梨の体力を気遣って、触れ合うタイミングを考えてくれている。それなのにこの旅行中はそれが嘘のように繰り返し由梨を求めるのだ。
 しかもこんな風に、少し傍若無人に。
 由梨が戸惑っているのは、そんな彼の振る舞いというよりは、それを少しも嫌だと思わない自分自身にだった。
 今だって、大好きな彼の瞳に自分が映っているのだと思うだけで震えるほどの喜びを感じている。そんな自分がたまらなく恥ずかしい。

「白夜って…」

 隆之がそう言って由梨のお腹の辺りを指で辿る。由梨の肌がぴくんと震えた。

「白夜って俺初めてなんだけど、いいもんだな。…こうやって、由梨の姿をじっくり見られる」

「そんな…!」

 由梨の言う通りカーテンを閉めるつもりなど全くない隆之を由梨は潤んだ瞳で睨む。
 そんな由梨の唇にちゅっと音を立てて隆之がキスを落とした。
 そしてそんな優しい仕草とは真逆の言葉を口にする。
 
「ダメだ、由梨。君の言う通りにはしない。だってこれは、お仕置きなんだから」

 思いがけない隆之の言葉に由梨は、目を見開いて彼を見つめる。
 一方でそうさせた張本人は、相変わらず艶やかに微笑んだままだ。

「お仕置き…?」

 由梨の頭に浮かんだのはまだ結婚して間もないころに隆之が勝手に決めた決まり事だった。

 "家で隆之を社長と呼んだらキス"

 でも今はもうそんなことはほとんどなくなった。とくにこの旅では二人とも仕事のことは忘れていたから、呼び間違えたことなどないはずなのに。
 由梨は潤んだ瞳で彼を見上げて首を傾げた。
 そんな由梨の髪を優しくかきあげて隆之が由梨の耳に唇を寄せた。

「由梨の初恋は俺だと嘘をついただろう?」

 低くて甘い声で囁かれて、由梨の身体が再び跳ねる。甘い吐息が漏れないように由梨は唇を噛んだ。

「そんな、あれは…!」

 必死で首を振り、顔を真っ赤にして泣き出さんばかりになってしまう。
 このまま恥ずかしい"お仕置き"が続くのだと思うとどうにかなってしまいそうだ。囁かれただけで、こんなにも身体が熱くなってしまうというのに。
 そんな由梨を見下ろして、隆之がくっくと笑った。

「反省した?」

「た…、隆之さんたらっ!」

 ようやくからかわれたのだと気がついて、由梨は声をあげて彼を睨んだ。身をよじって彼の腕の檻からも逃げようと試みるけれど、それは隆之によって優しく阻止された。

「由梨が、初恋は狼だなんて言うからだ。てっきり俺だと思っていたのに。がっかりしたんだよ。…だからこれくらいの意地悪は許してほしいな」

「そんな…。まさか狼にまでやきもちを焼くなんて思いません!」

 言いながら由梨はもう一度腕に力を入れる。だがやっぱり隆之は許してくれなかった。
 いつも思うのだけれど、隆之はこういうとき自分のやり方を由梨に強制したりはしない。でも必ず思う通りにしてしまうのだ。
 恥ずかしいと抵抗する由梨を、優しいけれどけして逆らえない、そんな力加減でねじ伏せる。
 それをちっとも嫌だとは思えない自分は、どこかおかしいのだろうかと由梨は思う。
 隆之がもう一度喉の奥でくっくと笑った。

「どうしてそう思うんだ? 俺は由梨を愛してる。何度も何度も言ってるだろう? 本音を言えば、ずっと俺の腕の中に閉じ込めておきたいくらいなんだ。狼だろうとなんだろうと、他の男には見せたくない。この旅では俺のその願望が叶うと思ったのに、由梨がよそ見をするから…」

 そう言って隆之の唇が由梨の身体を辿りだす。由梨の口から甘い吐息が漏れた。

「た、隆之さん…」

「ほらもう力を抜いて、…全部見せて」

「だ、ダメ…ん…」

 由梨の精一杯の抵抗は、隆之の口の中へ消えてゆく。そして全てを奪い去るような口づけが始まった。
 よそ見なんて無理だと由梨は思う。自分はこんなにも彼に恋焦がれているのだから。
 現在と未来だけでなく過去さえも全て彼に奪われて、由梨の世界には彼しかいない…そんな錯覚をしながら、由梨はゆっくりと目を閉じた。
 ノルウェーの夜空に輝く太陽だけが、幸せな二人を見つめていた。
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