政略結婚は純愛のように〜完結編&番外編集〜
そして、今
あの日もこんな風に強い風が吹いていた。

そんなことを思い出しかながら由梨は窓枠に手をついてリビングから庭を見つめている。

こうやって父と過ごしたこの屋敷へ由梨が来るのは数カ月ぶりのことだった。
祖父亡き後、屋敷の名義は由梨になってはいるものの、由梨自身は加賀家の屋敷で隆之と一緒に住んでいる。
仕事も忙しいから、特別な用事がない限りは来ることはなかった。

人が住まなければ建物は悪くなるから、管理会社に依頼して、一日一度は空気を通すようにしてもらっている。
このリビングがカビ臭くも埃っぽくもないのはそのおかげだ。

過去に思いを馳せながら由梨は外の景色を眺める。
そして太陽が傾きかけていることに気が付いた。
時間を確認すると、時刻は午後四時を回っている。

ここへ来てなにをしていたわけではないけれど、随分と時間が経ってしまっているようだ。

今日は休日で、この後も予定はない。
でも隆之にも秋元にも行き先を告げないで出てきたから、遅くならないうちに帰らなくては心配をかけてしまう。

そろそろ帰ろうと由梨が思ったその時、視線の先、門のところに車が一台停車する。
白いスポーツタイプのその車には見覚えがある。
隆之が仕事の時ではなく、プライベートで乗っている車だ。

案の定、運転席から降り立ったのは、彼だった。
由梨は慌てて窓を閉めて、玄関で彼を出迎える。
土曜日の今日も彼は仕事で朝早く出て行った。
スーツのままだということは、仕事が終わってすぐにここへ来たということだろう。

それにしても……。

「隆之さん、どうしてここがわかったんですか?」

開口一番由梨は尋ねる。
誰にも行き先は告げなかったし、携帯にもどこにいるのかというようなメッセージは来ていない。

由梨の問いかけに彼は柔らかく微笑んだ。

「今日は、お義父さんの命日だろう?」

「隆之さん……」

由梨の胸が熱くなる。

位牌も仏壇もお墓も、すべて今井の本家にあるから、今の由梨が父を偲ぶことができる場所はここだけだ。

そのことを彼に告げた記憶はないけれど、彼にはすべてお見通しなのだろう。

「俺も久しぶりにお義父さんに挨拶をしたくなったからね」

穏やかな口調で彼は言う。

もちろん彼はこの家に仏壇も位牌もないと知っている。
それなのにこう言ってくれることが、嬉しかった。

「どうぞ」

と言って促すと、彼は

「おじゃまします」

と断って玄関をあがる。
ふたり、リビングへ向かう。

「あの場所で、父は毎日晩酌をしてたんです」

リビングの片隅に置かれたソファを指差して、由梨は隆之に向かって説明をする。
そしてソファへ歩み寄り、腰を下ろした。向かいの席に視線を送ると、ありし日の父の姿が目に浮かぶようだった。

「父は決まってあっち側で、私はこっちでした。晩酌の時のお酒を買ってくるのは、私の役目だったんですよ。父はあまり味にうるさくなかったから、私が好きなものを好き勝手に買っていましたけど」

当時を思い出して由梨は微笑む。
隆之が、由梨の隣に腰を下ろした。

「日本酒通の由梨が厳選したお酒で晩酌か。贅沢だな。お義父さん、嬉しかっただろう」

「ふふふ、どうでしょう? 元々父は、洋酒派でしたから。俺を実験台にするな、なんて言っていましたけど」

膝に置いた由梨の手に、隆之の手が重なった。

「そしてお義父さんのその役割は、俺に引き継がれているというわけだ。光栄だな。だけど、お義父さんからしてみたら、きっと俺じゃ役不足だろう」

少し戯けて肩をすくめるものだから、由梨はふふふと笑いながら首を振った。

「そんなことは」

隆之が役不足なんてことあるはずないと由梨は思う。
父と晩酌していた時はほとんど感想もなかった。

一方で隆之からは、商社の社長らしい丁寧な感想が返ってくる。

明らかに隆之の方が選びがいがあると言えるだろう。

でもどうやら彼が言いたいのはそういうことではないようだ。
微笑みながら首を傾げた。

「どうかな? そもそもお義父さんが健在だったら俺は由梨の結婚相手としてあんなにすんなり認めてもらえなかっただろうし。でも俺も諦めるつもりはなかったから、この席に座って何度も何度もお義父さんと、やり合っていたんだろう」

「隆之さん……」

彼の言葉通りの光景が目に浮かび、由梨の目頭が熱くなる。
向かいの席に座る父が、自分たちを腕を組んで睨んでいて、隆之が一生懸命に父を説得しようとしている光景だ。

「思い返してみれば、俺ははじめからお義父さんに警戒されていたような気がするな」

そう言って隆之は、くっくっと肩を揺らした。

「隆之さん?」

「由梨が会社に来たばかりの頃、秘書室へ配属することに決めたあと念のためお義父さんに許可を取りに行ったんだ。そしたら由梨は副社長(オレ)付きではないだろうなと何度も念を押された」

「え……? 本当ですか?」

「ああ。他にも役員はいるのに、俺付きじゃないということだけを確認されたんだ。社長付きだと伝えたら、了承してもらえたよ」

知らなかった事実に、由梨は呆気に取られてしまう。
そもそも父が自分の配属先を気にかけていたことすらも意外だった。

「たぶん、俺が由梨に手を出さないかと心配だったんだろう」

隆之の言葉に、由梨は頬を染める。

「ま、まさか……」

でも胸は温かくなった。

「それなのに結局、俺と由梨が結婚することになったんだ。簡単には許してくれなかっただろう」

そうかもしれない、と由梨は思う。
今目の前に浮かぶ父も、難しい顔をして由梨と隆之を睨んだままだ。
でもそれを、由梨は心から嬉しく思う。
父の不機嫌なその態度は、きっと隆之を気に入らないということではなく……。

「お父さん、大丈夫。私、隆之さんと幸せになります」

目の前の父に向かって思わず由梨はそう言った。
重なった手の温もりを感じながら。
隆之が、由梨のお腹に手を当てて柔らかく微笑んだ。

「この子が生まれたら、またお義父さんに、見せに来よう」

その言葉に、由梨はこくんと頷いた。
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