失われた断片・グラスとリチャード
それは、すこしだけ顔を上げたが、また下を向いた。

「名前は?年は?」

リチャードはまた、
いらだたしげに舌打ちをした。
この浮浪者のような、こどもを寄越すなんて、
なんという、クソババァなのか。

「名前は・・ありません。
年もわかりません。捨てられたので」

小さな声・・それは女の子の声だった。

「お前・・名前がなければ、
呼ばれた時に困るだろうが」
リチャードは再び、舌打ちをした。

「その時々で、適当に呼ばれていました。
メアリーとか、ジェーンとか・・」

その答えに、
リチャードは首をひねった。

名なしの世捨て人・・・
ふとその言葉が、浮かんだ。
このガキは、
洗礼と命名を、受けていないのか?

それならば、
この世に存在していないと、同じ扱いになる。
死んでも、墓碑銘に名前は刻まれない。
生きた証や、記憶もないのだ。

それの周囲に漂う、陰鬱な空気感。
リチャードは、追い返すのをやめた。
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