愛憎を込めて毒を撃つ

第二話

◆同窓会から約一か月後(六月中旬)
〇新村家の寝室(昼)

和寿は早朝から仕事に出かけ、パートが休みの里乃が掃除をしていると、スマホに和寿の母(里乃にとっては義母)から電話がかかってくる。
里乃は顔が強張り、一気に気分が重くなってため息を漏らすが、無視もできずに電話に出る。

里乃「もしもし」
和寿の母「里乃さん? 元気にしてる? あなたたち、ちっとも顔を見せてくれないから、私もお父さんも寂しいわ」
里乃「すみません……。和寿さんの仕事が忙しくて、なかなかお伺いできなくて……」
和寿の母「そうよね。あの子は大変だものね。でも、里乃さんは時間があるでしょ? 電車で一時間もかからない距離なんだし、たまにはひとりで遊びにいらっしゃい」
里乃「はい。ありがとうございます……」
和寿の母「そういえば、うちのお隣の娘さん、去年結婚したばかりなのに赤ちゃんが生まれたそうよ。お隣の奥さんから孫自慢されちゃって、もううんざり……。うちにも孫がいればねぇ」
里乃「っ……すみません……」
和寿の母「あなたを責めてるわけじゃないの。子どもは授かりものだし、あなたたちのタイミングもあるでしょう? でも、里乃さんももう三十五だし、若くないじゃない? 男とは違うんだから、あんまりのんびりしてると……ねぇ?」
里乃「はい……」
和寿の母「私は心配なのよ。せっかく保育士の資格もあるんだから、他人の子どもの面倒を見るよりもそろそろ自分たちのことを考えた方がいいんじゃないかしら?」
里乃(私だって……そうしたいよ……)
和寿の母「和寿は忙しいんだから、里乃さんが色々と合わせてあげてね? 私たちにできることがあればなんでも言ってちょうだい。うちは子どもが和寿ひとりだから、金銭的なことも援助するから」
里乃「いえ……それは……」
和寿の母「遠慮しなくていいわよ。あなたはもう、私の娘同然なんだから。それに、私も早く『孫が生まれた』って言いたいもの」
里乃(子どもが欲しいって思う気持ちは、お義母さんよりも私の方が強いよ……。でも仕方ないじゃない……レスなんだから……。和寿とは子どものことどころかレスのことも話せない雰囲気だし、どうすればいいのよ……)

ようやく電話が終わると、里乃は傷ついた表情でため息をつき、整えたばかりのベッドを見つめる。



≪回想(里乃)≫

◆約五年半前
〇結婚前に和寿が住んでいたマンション(夜)

和寿のベッドで幸せそうにする里乃と和寿。
三か月前に和寿がプロポーズしたばかりで、ふたりは結婚に向けて準備を進めているところ。
新居も探しているので大忙しだが、里乃も和寿も幸せいっぱいの日々を送る。

和寿「早く籍を入れて一緒に住みたいな」
里乃「うん。新居が決まったら、インテリアショップも回らなきゃね」
和寿「本当に大忙しだ」
里乃「和寿、仕事忙しいんでしょ? 倒れないでね」
和寿「大丈夫だって。俺は里乃を幸せにしないといけないんだから、これくらいで倒れるわけにはいかないよ。俺、意外と体力には自信があるんだ。それよりさ、新居はやっぱり利便性を重視しよう」
里乃「そうだね。駅とかスーパーが近い方がいいよね」
和寿「それはマストだろ。あと、子どもができたときのことも考えて、病院とか保育園や小学校の場所も重要だよな」
里乃(和寿、子どものことも考えてくれてるんだ)
和寿「里乃は子どもが好きでは保育士になったんだし、子どもは絶対に欲しいよな。里乃の子どもなら、きっと可愛い子が生まれるだろうな」
里乃「気が早いよ。でも、嬉しい……。私も早く和寿の赤ちゃんが欲しいな」
和寿「俺たちの仲の良さなら、きっと結婚したらすぐにできるんじゃない? 俺、毎晩でも頑張るよ」
里乃「もう……! 和寿ってば!」

里乃は顔を赤くしながらも、和寿のキスを受け入れる。
ふたりは幸せそうに笑い合う。

≪回想終了≫



里乃(結婚前はあんな風に言ってくれてたのに、和寿は本心では子どもが欲しくないのかな……。だから、レスになったの? でも、私はもう三十五歳だよ……。若くても子どもは簡単にできるとは限らないのに、年齢的にも限界なんだよ……)
里乃「和寿……もう私とはしたくないの……?」

里乃はベッドを見つめたまま涙を浮かべる。
しばらく動けずにいたが、雨が降ってきたことに気づいて慌てて洗濯物を取り込みに行く。
しかし、洗濯物は濡れてしまい、里乃は苛立ちをぶつけるように取り込んだばかりの洗濯物を再び洗濯機に放り込む。



〇新村家のリビング(夜)

向かい合って夕食を摂る里乃と和寿。
今日は和寿の帰宅が遅かったが、里乃は少しでもコミュニケーションを取るために夕食を済ませずに待っていた。
しかし、当たり障りのない会話しかなく、里乃は箸を置く。

里乃「今日、お義母さんから電話があったよ」
和寿「なんて?」
里乃「たまには顔を見せに来てって」
和寿「ああ……。そろそろ顔を出しに行くか」
里乃「……それと、お隣の娘さんに赤ちゃんが生まれて、会うたびに話を聞かされてるんだって。お義母さん、『早く孫が生まれたって言いたい』って……」
和寿「またその話か……。子どものことは俺たちのペースがあるっていうのに、母さんは口を開けばそればかりだ」
里乃「でも……」
和寿「里乃も、母さんになにを言われても適当にあしらっておけばいいんだよ」
里乃「そんなことできないよ。だって、和寿のお母さんだよ? それに……」
和寿「ご馳走さま」
里乃「え?」
和寿「この話はもういいだろ」
里乃「えっ、待ってよ……」
和寿「里乃。俺は疲れてるんだ」
里乃「っ……」
和寿「明日も早いから寝るよ。おやすみ」
里乃「……おやすみなさい」



〇新村家の寝室(夜)

夕食の片付けを済ませた里乃が寝室に行くと、電気はダウンライトになっており、ベッドにいる和寿はこちらに背中を向けて寝息を立てている。
里乃もベッドに入って和寿に触れようとするが、伸ばしかけた手を引っ込めて和寿に背中を向ける。

里乃(私たち、こんなので夫婦って言えるのかな……)

隣にいるのにふたりの心の距離は遠いように感じ、里乃は現実から目を背けるように瞼を閉じる。



◆同日
〇氷室家のリビング(夜)

潤が夕食の洗い物を食器棚に片付けていき、麗佳がテーブルを拭いている。

麗佳「潤、今夜は先に寝てて」
潤「仕事するのか?」
麗佳「今作ってるピアスがもうすぐ完成しそうだから、今晩中に仕上げたくて。今日もオーダーが入ったし、新しいデザインも考えたいんだよね」
潤「わかった。でも、あんまり無理するなよ。ここは片付けておくから、麗佳は仕事してきていいよ」
麗佳「ありがとう。潤、大好き!」

麗佳は潤にキスをすると、仕事であるハンドメイドのアクセサリー作りに没頭するために自室にこもってしまう。
潤は暗い顔でため息をつき、片付けを再開する。



〇氷室家の潤の部屋(夜)

自室でパソコンに向かう潤。
次々に表示されていく何枚もの写真には、仲睦まじく歩く男女の後ろ姿が写っており、ふたりがホテルに入るところまでしっかりと収められている。
最後の一枚には、麗佳と和寿の顔がはっきりとわかるように映っており、潤はその写真を開いたままデスクに肘をついてこめかみを押さえるようにし、眉をしかめた。

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