もう一度、君を待っていた【完結】
♢♢♢
授業の中で一番嫌いなのは体育かもしれない。
運動が得意ではないこともそうだが、球技などチームで競ったりすることが苦手だ。
これで私が運動神経抜群だったら誰にも迷惑を掛けずに済むのだが、現実はそうはいかない。
春から夏にかけて、まずは体力測定がありその後持久走なども入ってくる。
それらは得意ではないが個人で行うから問題ではない。
ただ、室内でのバレーボールや屋外でのソフトボールなどは胃がキリキリと痛むほど嫌いだ。一年生の頃に、私のせいでチームの足を引っ張り、聞こえるように悪口を言われたのがきっかけかもしれない。それなりに時間が経過しても、不意に思い出すことがあるからよほどトラウマになっているのだろう。
男子も女子も隣のクラスと合同で授業は行われる。
今日は天気も良く、男女ともに外で授業をすることになる。
女の子はだいたい仲の良い友達と一緒に行動するから一人でポツンと佇む私は周りから浮いているだろう。
それを周囲の視線で感じ取ると、ずっしりと胃の奥が重くなって足の動きが鈍ってくる。
濃紺の名前の刺繡が入ったジャージに着替えて、グラウンドに向かう。
朝陽君はいつも周りに友達がいてキラキラしている。羨ましいなと思う反面、そんな彼が私と仲良くしてくれていることが嬉しい。

「朝陽君カッコいいよね!運動神経もいいんだよ」
「そうなの?モテるのわかるよね~頭もよくて顔もよくて運動もできるなんて」

私の脇を通り過ぎた同じくジャージ姿の女子たちの会話が耳に入ってくる。
好きな人の名前だから、無意識に耳が向いてしまうのかもしれない。
今日は男子はサッカーをして、女子は持久走(マラソン)をするようだ。
マラソンなどの持久走も苦手だが、球技などではないからほっとしていた。
運動前の体操をしてから、男女で分かれた。
グラウンドに集まる男の子の中でも、特に朝陽君は目立っている。好きだというフィルターがかかっているせいかもしれないが、人気者の彼の周りにはいつも人がいる。
眩しすぎる笑顔は私とは正反対だ。
「じゃあ、今日はマラソンコース10周を走ります」
女性の体育の先生の言葉に周りの女の子たちもげんなりした顔をする。多分、私も同じ顔をしていたと思う。
グラウンドの周辺の学校を囲むようにしてあるマラソンコースはだいたい春先に一度は走る。秋にも同じコースを走る時があるらしい。一年生の頃も走った記憶があるが、ただただ苦しかった印象しか残っていない。
長嘆した後、私たちは立ち上がり先生の合図をもとにスタートした。

今日は天気が良くて、気温もちょうどいいから確かに持久走にはぴったりかもしれない。暑すぎても寒すぎてもきついだろうから。
運動部に入っている女の子は友達と喋りながら私の前を走っている。
数分しか経過していないのに、既に息苦しい。
10周も走ることが出来るのだろうかともう弱気だった。
と。
「わぁ、朝陽くんだ!」
「本当だ!ほら!シュートした!」
「なんで部活動入ってないんだろうね。聞いた話だと転校前は部活動に入ってたって」
「そうなんだ。入ればいいのにね」
私の前を走る隣のクラスの女子生徒が黄色い声をあげている。
それに反応するようにグラウンドでサッカーをしている男子に視線を向けた。
朝陽君は同じクラスの男たちと一緒にハイタッチをしている。
どうやら朝陽君が点数を入れたようだ。
カッコいいなぁと思った。走っていることによる心拍数の上昇とは別に、胸が高鳴っている。
いつ見ても朝陽君は笑っている。

マラソンコースを2周した時点で、私には余力はなかった。
腕を振って前に前に進もうとするが、既に限界を迎えそうだった。
日ごろから運動をしていれば…とこういうときだけ思うのも変わらない。
はぁ、はぁ、と酸素を吸い込むのも二酸化炭素を吐き出すのも苦しくなってきた。
どんどん周りが私を追い越していく。その背中を見ながら顔を歪めた。
別に最下位だっていい。
だけど、このままいけば途中で走るのを放棄してしまいそうだった。
去年だって何とか走り切ったのに、今回それが出来ないのは嫌だった。
腕を振る力も無くなっていく。
何とか9周目まで来るときには既にゴールしている生徒が大半だった。
何周も遅れていることは知っていたが、それを見ると焦りに繋がる。
グラウンドでは、談笑している女子とサッカーも終わり片づけをしている男子が見える。
早くゴールしないと…―。そう思うがどうしても足の動きが鈍いままだ。
と。
「みずき!頑張れ」
「っ…」
どこからか声が響いた。その声は確かに”みずき”と私の名前を呼んだ。
はっとして首を横に向けると朝陽君が手を振っていた。
「もう少しだよ」
周囲の目など一切気にせずに私に向けられた言葉は何よりも頑張る力をくれる。私はうんと大きく頷いた。
もちろん結果は最下位だったし、体育の授業はやっぱり好きにはなれなかったけどそれでも最後に朝陽君が応援してくれた声を聞けて十分幸せだった。
体育の授業が終わり、クラスに戻るとすぐに朝陽君に声をかけられた。
「体育お疲れ、頑張ってたね」
「応援ありがとう。届いてたよ」
「それはよかった」
「朝陽くんも凄いね、見てたよ」
「本当に?まぁ、サッカーは好きだからね。みずきに見てもらえてうれしい」
いつも彼は何の躊躇もなくストレートに気持ちをぶつけてくる。それがあまりにもストレートだと、照れ臭くなってしまう。
「あれ、なんかゴミついているよ」
「あ…」
朝陽君の手が伸びてきて、咄嗟に私は自分の髪を押さえていた。
それは傍から見れば拒絶しているように思うかもしれないし、拒絶しているように朝陽君も思うかもしれない。
だけど、体育後の汗ばんだ体にたとえ髪だとしても触れてほしくなかったのだ。
それは嫌われたくないという恋心だった。
朝陽君が困ったように眉を八の字にして「ごめん」と言った。
「違うの…ごめん、あの、」
「女の子に気安く触るのは確かに配慮が足りないかも」
空気を重くしないようにそう言った朝陽君に私は首を横に振った。
「朝陽君だから嫌だったの」
「…え?」
「汗ばんでいるから…嫌われたくないなって」
「あぁ、そういうことか」
困ったような表情から爽やかに笑った朝陽君は珍しく照れているように思えた。
「勘違いしそうだなぁ」
彼のその一言の意味は分からなかったけど、心臓が早鐘を打っているのは確かなことだった。
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